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「江~姫たちの戦国」-第28回「秀忠に嫁げ」

秀次粛清までのプロセスの巻でした。
世に秀次は殺生関白とも言われ,辻斬りをしたとも母子ともいただいてしまったとも(菊亭晴季の娘とその連れ子),酒色に溺れて・・・と諸説があります。、
今回も昼酒をかっくらっていたようですし,秀忠と会っていました。
徳川を引き寄せる・・・??
で,
「父上ですか??」
に,さすがにぶっ飛びましたが,子役の女の子が可愛らしかったので良いことにします(をい)。


しかし,あれでは三成がさしたる理由もなく秀次を讒訴したことにしかならないでしょう。
秀次をどのようなキャラとして描くかが定まっていないので(善人として,江の身内であることを強調していたようですが),何故酒色に溺れたのか何故古書のたぐいを集めて学問好きであることを標榜しようとしたのか,そのあたりがはっきりしなかったので,最終的に破滅した動機が薄弱でした。
あとは,追放と同時に切腹が沙汰されたわけではないでしょう。
一縷の希望を持って高野山へ蟄居したところへ・・・というのが真相では,と思います。


秀次切腹事件はこれだけでは済みませんでした。
妻妾子ども殆どを三条河原で斬ったというのは,古今例を見ない惨劇です。
この一例を見ても,秀吉が既に尋常ならざる状況にあったことが分かるというものです。秀次には10数人の妻妾と四男二女が有ったと思われますが,有名なのは何と言っても最上義光娘の駒姫でしょう。
当時15歳。
美人の誉れ高く,秀次の目にとまったということですが,正式な婚儀もないまま連座して斬刑。
さすが武家の娘らしく従容として死の座に着いたと言われます・・・。
唯一生き残ったと思われる娘お菊(母は淡輪隆重女小督)も,大坂夏の陣に際して夫が大坂方に付いた科で斬刑。
秀次に付いていた与力の大名衆も連座します。
秀次父の三好吉房は改易・蟄居。
意外に知られていないのが服部一忠。
服部小平太-と言えば,ああ,桶狭間で義元に一番槍を付けて松倉郷の大刀で膝を斬られた・・・と思い出される方も多いのでは・・・。
当時伊勢松阪三万五千石の大名で秀次に仕えていましたが,連座して切腹。
毛利輝元と秀次が密談したと三成に嫌疑をかけられていましたが,秀次が毛利家より多額の借金をしていたことは事実のようなので,痛くない腹を探られた・でっち上げられたということになります。
また,秀吉子飼いの大名で秀次の与力として付けられていたのは,田中吉正,中村一氏,山内一豊の3人でしたが,家康の取りなしで沙汰無しとなった模様です。
秀次とその一門処刑は,秀吉が豊臣家の禍根を取り去るつもりで行ったのでしょうが,結果的に家康の影響力を強めるという皮肉な結果に終わったようです。


・・・ということで,この一件について語ればまだまだ根多は有りそうですが,自粛します(笑)。
・・・で,終了間際に秀忠に・・・。
はて,秀次事件と秀忠との婚儀,どっちが先なのでしょう・・・。
ま,どっちが先でも,ひっそりと暮らしていた江には大きな影響は無かったと思われますが・・・・・。


最後に,紀行は秀次の妻子が斬られた三条河原と,その菩提寺(名前失念)でした。
この季節鴨川畔の川床で一杯飲ったら風流でしょうね。
高瀬川沿いの木屋町の柳の下での一杯も良いでしょうけど・・・。

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2011/07/25 17:50
家康などの面従腹背には考えが及ばずに、
身内の秀次一党を根絶やしにして、豊臣家が安泰だと思ったとすれば
知恵者といわれた秀吉の面影無しですね。

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2011/07/25 14:18
秀次は甥なのに、秀頼が生まれたばっかりに気の毒な運命を辿る事になりましたね
どうして一族郎党、女子供迄 昔はどんな運命になるか、不安なものでしたね
後、後、仇討されるのが恐くて、根絶やしするのでしょうが、本当に惨い事です。




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