Nicotto Town


koshiのお部屋分家


聖地巡礼之記-其之四「妄想歴史紀行」

突然,バスが減速したことで目が覚めた。
ゆるゆるとタクシーウェイをSAに入っていく。
東北道の那須SAで貰った地図は東日本限定なので,恵那山トンネル以西は無い。
したがってここから先は,地図のない状況で自分の方向感覚と地理感のみが頼りとなる。一体どこのSAか・・・と思って,表示を見ると恵那峡とある。
岐阜県東部,木曽路の入り口たる中津川の西ということだろう。
木曽川がつくる峡谷が見物なのだろうが,確かもっと北の恵那市郊外を流れているのでは・・・と記憶している。
周辺には温泉も湧いており,恵那峡ワンダーランドなる遊園地も有る。
そう言えば,東海地区はやたら遊園地が多い印象で,帰途の東名では少なからぬ数の観覧車を見つけた。
時刻は5時近くで,東の空が完全に白みかけ,黎明を告げる刻限となった。
・・・にしても,駒ヶ岳SAからさして距離は無いのはどうしたことだろう。
那須(栃木)-横川(群馬)-駒ヶ岳(長野)-恵那峡(岐阜)と,一県一カ所のような感じだ・・・。
地図さえ手元にあれは,東を見て県境の恵那山の山容を探すのだが,中部地区のSAには地図が無く,残念な限りである。
NEXCOではぜひ一考を願いたい。
恵那山を見たのは,随分前に前述島崎藤村の生地である木曽路の馬籠宿からであるが,恵那地方からの眺めも味わいたかった。
例によって到着直後と出発間際に2度小用を足し,バスに乗車。
すぐに寝入る・・・。


次に目が覚めたのは,豊田藤岡なる表示を見た時だった。
既にして中央道を離れ,東美濃から東尾張西三河の丘陵地帯を南下する東海環状自動車道に入っていた。
夜は完全に明け,折からの曇天である。
しかし駒ヶ岳SAを出てから,飯田-阿智-中津川-恵那と諸都市を寝たままパスして,恵那峡を出た後は瑞浪-土岐-瀬戸といった地域を見ずに終わった。
つまり,そんだけよく寝ていたということになる。
思ったよりよく眠れたというのが結論である。
勿論,熟睡感は絶無だが・・・。
土岐といえば,室町時代の守護大名である土岐氏発祥の地である。
土岐氏は由緒正しき多田源氏(氏祖の源満仲が摂津の多田院を領していたことに始まる)の名家で,大江山の酒呑童子退治で名を馳せた源頼光の子孫である。
その土岐氏を滅ぼした,というか美濃一国を乗っ取ったのが蝮と言われた斎藤道三であり,その道三の一番弟子(二番弟子は信長だろう)とも言うべき明智光秀の一族も土岐氏である。
恵那市からは,かつての旧国鉄明知線-現在は第3セクターの明知鉄道が出ており,終着
の明智と結ばれている。
・・・と,寝惚け頭で,又しても余計なことを考えていた。
次のICは豊田勘八。
由来は寡聞にして知らないが,何となく興趣をそそる名前である。
さらには,足助(あすけ)という表示を見たときも,何とも言えない感慨があった。
こんなこと考えるのは私だけだろうと思うが,足助もまた中世武士団発祥の地である。
三河源氏足助氏が有名なのは,何と言っても「太平記」に登場する足助重範だろう。
建武の中興,南北朝動乱の前哨戦ともいうべき笠置山の戦い(後醍醐天皇vs鎌倉幕府軍)
で勇戦した天皇方の武将である。
足助氏の祖は,前述多田満仲弟の満政であり,山田・浦野といった尾張三河地方に源氏の勢力を扶植する元となった。


・・・で,またしても余計なことを考えているうちに次のICが近づく。
何と豊田松平。
旧名だと三河国加茂郡松平郷。
言うまでもなく徳川氏発祥の地である。
徳川氏は家康の代に伝説的な家系を作って,上州新田氏の流れを汲む源氏であると称した。このあたりの徳川(得川)氏発祥らついて述べると実に面白いのだが,今回は主旨から大きく逸脱するので自粛する(もう遅いか・・・爆)が,おそらく賀茂神社の神官を務める家系だったのでは・・・と思われる。
やがて,西三河丘陵地帯から平地に出て岡崎城を拠点として,三河湾周辺の御油,形原といった幡豆(はず)地方に進出していったということなのだろう。
因みに,三河の額田・幡豆地方は鎌倉時代に足利氏が守護を務めていた関係上,後に有名になる氏族を輩出している。
現在も地名を残す吉良(忠臣蔵のあの人の一族)を筆頭に,細川(岡崎市),今川(西尾市),仁木(岡崎市)といった具合である。
そう考えると,足利氏が将軍だった室町末期に,家康が足利氏への対抗として同族にしてライバルであった新田氏を称したのも合点がゆく・・・。


・・・と,いった具合にどーでもいいことを考えたが,この東海環状自動車道は要するにトヨタとその関連企業のために作られた・・・と言っても良いのかもしれない。
もう2年早くF1を見ることができたなら,トヨタを応援してもっともっと感情移入のできるF1を見ることができた筈・・・と思い,すべてはリーマンショックが悪い・・・と,怨嗟の言葉を吐いた・・・。


(4日目にして鈴鹿に至らず・・・。多分明日に続きます・・・)

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2011/10/16 20:30
meianさん,今晩は。
東海・中京地域は私も縁が薄く,今回書いた三河地区は,かつて豊橋から飯田線で通過したのみです。
鳳来寺とか湯谷温泉とか見どころはあるのでしょうけど・・・。
西三河は全くの初体験でして,多くの由緒ある地名についつい妄想をしてしまいました。
一体何を書いたエントリなのか分からない状況ですが,まだ完結していません・・・。
今日もエントリしましたので,宜しかったらどうぞ・・・。
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2011/10/16 19:50
yutakaさん,今晩は。
お読みくださいまして,ありがとうございます。
恵那峡は,私も行ってみたいです。
木曽川の幅が急に広がるようで,なかなか楽しい景観が見られそうな気がします。
そちらからだと,わりと近いですね。
ぜひ行かれました際は,お知らせください。
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2011/10/16 19:48
まさるさん,今晩は。
毎晩お読みくださいましてありがとうございます。
この手の文章書かせたら,幾らでもいってしまいそうです(いくな)。
旅は妄想を膨らませますね。
ついつい今日もかましてしまい,韓国GPは録画したのをようやく見終えました。
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2011/10/16 15:09
こんにちは。
中部方面はほとんどいったことがないし知識も過少なので読んでいて楽しいです。
いつもながら、一つの地名から周辺の地図が浮かび上がり、そこからタイムスリップして
過去まで俯瞰できるというのはなんとも凄いことです。

トヨタ、F1復帰の報もありますが、時既に遅しでしたね、残念!
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2011/10/16 13:45
今度もいっぱい戦国時代の武将の話が出て来て大変面白かったです~
因みに恵那峡には、この秋又行ってみたい所の一つです

木曽路の馬篭・妻籠の中山道は何度か歩いたので恵那峡の遊覧船に
乗って見たいと思ってました。
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2011/10/15 22:01
出張や旅行で遠方に行くと、俺もまずは戦国時代の歴史が気になっちゃいます(笑)
F1云々以前に、この高揚感溢れる往路ブログがオモシロいので、俺的にはあと1週間ぐらい、このまま続けて書いてほしーんですが、いかがなモンでしょうか?(爆)




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