Nicotto Town


koshiのお部屋分家


聖地巡礼之記-其之伍「妄想の果て・・・」

東海環状自動車道の東側は,西三河の丘陵地帯の西端を南北に貫いているようだ。
路面やガードレールが真新しい感じなので,最近できたのだろう。
前述の通り,トヨタ本社工場および周辺の関連工場(エアコンを製造しているDENSOとか-これもF1のスポンサーだった)は大いに活用していることだろう。
やがて平野部に出ようとするところに豊田JCTだった。
ここから先は,伊勢湾湾岸自動車道となる。
これまた真新しい有料道路だが,今までの東海環状もだったが,この湾岸道もまた真新しさがぷんぷんだった。
刈谷,豊明(とよあけ)と聞き覚えのある地名が続く。
刈谷の殿様は,家康の母の異母兄水野信元だった筈だ。
水野氏は松平氏同様,西三河から東尾張にかけての領主で,松平氏とは同等の地位にあったと推測される。
やがては徳川氏の伸張と共に臣従することとなり,譜代の家臣として後の老中を輩出するに至ったのだろう。
信元自身は,桶狭間の合戦において今川軍敗戦をいち早く大高城に在った家康に知らせたり,その2年後に信長・家康が手を結んだ清洲同盟では,両者の仲介をしたりと,少なからぬ功績のあった武将であったが,長篠合戦後に佐久間信盛の讒言によって信長に武田氏への内通を疑われ,岡崎の大樹寺にて斬られるという非業の死を遂げた武将であった。


そして名古屋南ICの表示の後,道は突如として工業地帯へ入る。
伊勢湾の埋め立て地に巨大な工場が連なり,その上を有料道路が通る。
極めて無機的な灰色の世界であるが,中京工業地帯の生産力の底力を見る思いだった。
今や京浜工業地帯を抜いて,工業生産額が日本一となったというのも頷けるというものだ。
名古屋駅前がかつてとは違って活気にあふれている,という話を聞いたことがあるが,名古屋恐るべしである。
それにしても,この湾岸道路の高架の高さはどうだろう。
海面まで相当の高さがあり,高所恐怖症で飛行機の嫌いな私を怖がらせるに十分すぎた・・・。


突如,巨大な観覧車が見えた。
今回,東海地区では相当数の観覧車を車窓から眺めることになったが,おそらくその中でも最大級の大きさを誇るものだ。
バスは再び減速して,タクシーウェイに入る。
テーマパークの隣がSAのようだ。
名前を探すと,何と湾岸長島SA。
・・・ということは,隣は長島スパーランドということになる。
何と,名古屋市内を南でバイパスして,伊勢湾を横断。
一気に三重-勢州まで来てしまった。
時刻は6時前だっただろうか・・・。
例によって小用を足す。
コーヒーが飲みたくなったが,空腹だし利尿作用を警戒して自粛。
ここまで来たら鈴鹿は目と鼻の先だが,この後は決勝前の大渋滞が予想されるので,たかだか20数キロを3時間かけて走ることになるやもしれない。
そこで尾籠な話だが,大用も足そうかと思ったが甘かった・・・。
只でさえ少ない男子トイレの個室は,並んだ人が外まで溢れていたし,大型トイレも満杯・・・。
残念ながら,諦めざるを得なかった・・・・・・(泣)。


長島といえば,何と言っても信長を再三苦しめた一向一揆が有名である。
信長の庶兄信広や弟の信興といった多くの織田一族や,氏家卜全(西美濃三人衆の一人)や林通政(家老とも言うべき佐渡守通勝の子)といった譜代クラスの武将が討ち死にするという有様で,さすがの信長も攻めあぐねた。
本来長島とは,木曽川と揖斐川によって河口に形成された巨大な中州のことであり(因みにその二河川のもう少し上流ににあるのが,所謂輪中である),信長の伊勢侵攻の際には美濃方面から軍勢が送られたので,長いこと長島は織田領の中の飛び地だったとも言える。しかも,信長の根拠地たる濃尾地方とは一衣帯水の近さであるから,目の上のたん瘤どころか,喉元に突きつけられた匕首のようなものだったことだろう。
長島での一向宗本願寺門徒の蜂起は,大坂石山戦争と同じく元亀元(1570)年のことだから,天正2(1574)年の長島落城まで足かけ5年の歳月を費やしたことになる。
何せ一向宗門徒は死ぬことを恐れないので,信長も散々苦しんだことだろう(家康も,三河一向一揆によって,危うい目に遭っている)。
この長島一向一揆の経過と顛末を書けば,それこそ何のエントリか分からなくなるので自粛するが,いずれにしても鈴鹿を前にまたしても妄想が膨らむこととなった・・・。


     (今日も終わりませんでした・・・。多分続きます・・・。)

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2011/10/17 23:12
meianさん,今晩は。
水野忠邦は,信元弟忠守の子孫ですね。
山形藩主・岡崎藩主など,要衝の大名でした。
中京地区の躍進は凄いです。
それをまざまざと目の当たりにしてきましたので,名古屋市内も行ってみたくなりました。
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2011/10/17 23:11
月さん,今晩は。
到着しましたよ,一応・・・。
ウケていただけて,嬉しいです・・・。
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2011/10/17 23:10
yutakaさん,今晩は。
かつての名古屋は正直言って印象がかんばしくなかったのですが,大阪同様どうやら認識を改めることになりそうです。
伊勢湾を横断する際に,名港中央というICを通りましたが,とにかくその規模に圧倒されました。
関東・東海地区の古戦場と武将について語ると,暴走しそうで怖いです・・・(爆)
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2011/10/17 23:07
まさるさん,今晩は。
いやー,私も読みましたよ。
影武者徳川家康(花の慶次も読んだ)。
爪を噛む世良田二郎三郎。
世良田という苗字が又,徳川ゆかりで・・・(これを語ると暴走する・・・)
元信というのは,家康の最初の諱でもありますね(元康の前。義元と信長からとったとか・・・)。
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2011/10/17 22:30
今晩は。
お勉強しに参りました^^
早速、昔々習った古い知識を修正ー中京工業地帯が京浜工業地帯に取って代わっている・・・と。
水野といえば天保の改革・水野忠邦しか知りません。末裔なのかな?




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2011/10/17 20:52
まだ到着しないんだ^^;

ウケる。
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2011/10/17 12:39
名古屋はすっかり変わりましたね、駅構内はもとより、駅ビルも
上は超高層ホテルになって6年前友人の案内で名古屋遊覧バスで一日観光し
女性3人でそのホテルに泊まり、翌日港公園に連れて行ってくれたのです
がその広いこと!水族館も素晴らしいものでした。 余計な事ご免なさい。

東海地方はあの時代は随所に激戦地があり、有名な武将も沢山いましたが
koshiさんのお詳しいのには何時も驚きです、愈々近づいて参りましたね。
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2011/10/16 21:51
また知ってる地名がドンドン出てきましたな(笑)
長島の一向一揆と言えば、隆慶一郎、原哲夫のコンビで漫画化された「影武者徳川家康」の主人公、世良田二郎三郎元信をつい思い浮かべてしまいます☆
往路ブログも次回でいよいよゴールですかね!?(笑)




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