名将逝く・・・
- カテゴリ:スポーツ
- 2011/11/26 18:40:15
阪急・近鉄の監督を歴任された西本幸雄氏が亡くなられた。
享年91。
昨年大沢親分を失っているだけに,こうした名監督が亡くなるというのは諸行無常とはいえ,残念でならない。
私としては,やはり記憶に残っているのは,79・80年の近鉄vs広島の日本シリーズであろう。
丁度我がジャイアンツ(というか第一次長嶋政権)の低迷期に当たり,野球に興味を失いつつあった時期の出来事であり,79年の「江夏の21球」ばかりがクローズアップされた嫌いがあるが(この件に関しては,故山際淳二の同名著作が秀逸と思う),西本-古葉という70~80年代を代表する名将の意地がぶつかり合ったシリーズとも言えた。
そして,西本も近鉄バファローズも結局日本一を達成することは無かった。
さらに言うならば,近鉄時代の西本は広島の全盛と被ったのに対し,阪急時代の西本は巨人のV9と被る。
つまりタイミングが悪かったということが,悲運の名将とも言われる所以である。
しかし,60年代後半~70年代にかけて,阪急を強くしたのは明らかに西本の功績と言って差し支えないだろう。
福本,山田,今井,長池,加藤英といった名手たちについては,今更述べるまでもないだろうし,万年Bクラスだつた阪急は,67年のリーグ初優勝後,5回のリーグ優勝を数えることになる。
近鉄にしても,同様だろう。
79年は,近鉄初優勝の年として,江川事件と共に記憶されることになる。
戦後の2リーグ制以来優勝が無かった球団を2年連続で優勝に導いた手腕は,まさに名将と呼ぶに相応しい。
西本勇退後,プロ野球は西武の黄金時代を迎えることになる。
今思えば,この時の近鉄こそ,個性的な選手の多いパリーグの実力をまざまざと見せつける象徴だったのではないかと思われてならない。
近鉄が次に優勝するのは,これまた名将の名に相応しい仰木彬が率いた89年まで待たなければならず(前年に惜しくも優勝を逸した),さらにその後は01年の優勝を最後に,近鉄バファローズ自体が消滅してしまい,阪急も近鉄優勝の89年にはオリックスに身売りということになり,明らかに1つの時代が終焉したことを示すこととなった。
混迷の度合いを極めるプロ野球界にとって,また1つ大きな損失となることは間違いない。
遠ざかる昭和の記憶とともに,リーグ優勝8回(しかも3チームに渡って)という名将の軌跡は忘れてはなるまい。
合掌・・・。
あの人を滅多にほめない広岡達郎が,手放しで賞賛していましたからね・・・。
遂に日本一こそ無かったですけど,実力のパを築いたのは最大の功績でしょう・・・。
一徹以外の何者でも無かったですね。
山口(阪急)の初球に手を出すな,厳命された羽田が速球につられて空振りしてその後3ゴロに打ち取られてから殴られましたからね・・・。
仰るとおり,皆に愛された幸せな人生だったのでしょうね・・・。
西本氏は西宮在住でしたので,関西の方にとっては感情移入もひとしおだつたのではないでしょうか・・・。
一徹な方だった印象が・・・。
名言も沢山残されたようですね。
「必要なときに必要な友がいて、心を開いて語り合うことができる。それで十分ではなかろうか。」
というのが、好きです。
こういうことが言えるのは、とても幸せなことですね。 合掌。