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「坂の上の雲」-最終回「日本海海戦」其之壱

原作を一気呵成に読んだのは,もう18年も前になります。
最終刊は,日本海海戦の壮絶な描写に始まったと記憶しており,同じく大長編であった吉川英治の「私本太平記」最終巻と丁度被りました。
こちらは,湊川合戦における楠木正成の壮絶な戦闘シーンから始まっておりました・・・。勝ち負けの違いこそあれ,日本海海戦と湊川の戦いは,いずれも国の行く末を大きく左右させた大戦であったことは同じでしょう・・・。


しかし,あの壮絶きわまりない映像は,一体どのようにして撮影したのでしょう・・・。戦艦ボロジノ(ナポレオンとロシア軍の戦いの故地から命名)に砲弾が炸裂する場面,地獄絵図のような戦艦内が描かれた際,私は40数年前の英国映画「空軍大戦略」での独爆撃機He111の銃撃された機内の様子と被りました。
鉄と鉄のぶつかり合いの果てには,肉がちぎれ血が飛ぶという地獄絵図が繰り広げられるということ,戦争とは決して勇ましいばかりのものではないこと,といったごく当たり前のことを改めて認識しました・・・。


T字戦法(東郷ターン)に対して,バルチック艦隊司令のロジェストウェンスキーは
「東郷は狂ったか」
と言っていましたが,確かにターンする際に艦隊は砲を撃てずに無力化しますし,敵艦に脇腹を見せるために蜂の巣にされる危険性もあるということでしょう。
但し,地球を半周してきたバルチック艦隊の士気が低下していること,遠洋航海によって船底に多くの付着物ができフットワークを減殺されたこと,射撃の命中精度が日本軍に対して著しく落ちること,さらには
「本日天気晴朗なれど浪高し」
と言われた日は,波浪が安定しないので射撃訓練に熟達した日本軍が有利であること,喫水線の高いロシア艦隊は無防備な舷側を曝出すことになったこと,そして東郷ターンによって風下に立たされたこと等,すべての要因を真之が熟知しての勝利だったというのが凄いとしか言いようがありません。
また,上記のように舷側を晒すことは危険ではあるのですが,火力を一方向にすべて集中できるというメリットもあります。
舷側を晒しても,命中精度の低いバルチック艦隊では大丈夫では・・・という計算も有ったのでしょう・・・。
真之の立てた作戦は,かつての水軍の戦術を徹底的に研究した独自のものだったと言われます。
古来,瀬戸内海から四国にかけては,塩飽,因島,来島等の水軍が多く存在しました。
例えば,平安時代の天慶年間の藤原純友の乱などは,大いに関連しているでしょうし,戦国時代に瀬戸内地方に覇を唱えた村上水軍も居ました。
そうした事例を徹底的に研究し尽くしたのでしょうし,アメリカに駐在中に米西戦争を観戦する機会を得ていますので,そのあたりも影響していたのかもしれません・・・。


不満を言えば,敵前での東郷ターン・第一・第二艦隊に大打撃-追撃-逃走中のボロジノ以下を挟撃-水雷艇による夜間攻撃-ネヴォガトフの第三艦隊攻撃と旗艦とも言うべきインペラートル・ニコライ1世に白旗・・・という経過の描写が前半のみに終始していたということでしょうか。
尤も,白旗+機関停止が降伏の条件ということで,インペラートル・ニコライ1世が当初機関停止をしなかったことは詳しく語られておりました。
ロジェストウェンスキーは,捕虜となり佐世保の病院に入院した後,本国に送還されました。
その後軍法会議にかけられたものの無罪となり,終戦4年後に日本海海戦の傷がもとで亡くなったことや,東郷が見舞いに行き,終生東郷を尊敬していたこと,ロシア軍の捕虜は殆どか自艦の撃沈により波間に漂っているところを日本兵に救助され,国際法通りに厚遇されて帰国がかなえられたこと,などが述べられても良かったかな・・・と思います。


(字数制限で刎ねられたので,其之弐へ続きます。)





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