「平清盛」-第3回「源平の御曹司」
- カテゴリ:テレビ
- 2012/01/22 20:53:44
今日も,「開拓者たち」の後で見ました。
ですから,どうしても辛い目で見てしまうところは出てしまうのですが・・・。
三上博史の上皇様,絶品でございます。
御父君の白河法王のベンジャミン伊東も見事にダークな存在感抜群でしたが,先週惜しくも御崩御なさいました・・・。
何で忠盛弟の忠正がいつも居るんだ・・・と思っていましたが(保元の乱の戦後処理の複線とバレバレ),どっかで見た俳優さん・・・と思いきや,「のだめ」のハリセンではないですか・・・。
そう言えば,今年度上半期に私が填った「新撰組血煙録」にも芹沢鴨の役で出ていました。
「のだめ」ついでに玉木宏も出ていましたが,思った以上に良かったです・・・。
こういう人たちが脇を固めるのですから,悪いはずが無いと思うのですが・・・。
う~ん・・・。
今の段階で判断するのはいささか早計に過ぎると思うのでこれ以上は書きませんが,来週が楽しみでならない,次回が待ち遠しい・・・という域には現時点では程遠いとだけ申しておきましょう・・・。
あとは,諱(いみな)で呼ぶのはやはりどうかと・・・。
確かに,
「平清盛だ」
と言った方が,
「中務大輔だ」
と言うより分かりやすいでしょうが・・・。
当時諱は忌み名から来たもので,滅多に名乗ることはなかったということだったそうですし・・・。
しかし,元服直後の清盛を松ケンが演じる無理(清盛は12歳で従五位下左兵衛佐に任官していますので,この時が元服と思われます)は勿論,若いエネルギーを持て余して無頼な風体で瀬戸内沿岸で暴れ回った・・・という設定は,源為朝二番煎じのようでどうもしっくり来ません。
ファンにとっては野性味溢れる清盛は格好いいのやもしれませんが,兵庫県知事の批判も頷ける気がします。
やはり清盛は平氏のぼんぼんとして,「十訓抄」にあるように穏やかで慈悲深い人物として描いた方が良かったのではないかと思います。
後は,千秋もとい義朝が清盛に対して,
「平氏の御曹司」
という言葉を投げかけますが,これはあまりにも認識不足ではないでしょうか。
御曹司という言葉自体が源家の若君を指す言葉であるからです。
ですから頼朝や義経は勿論,その父の義朝や祖父の為義も若い頃というか幼少のみぎりは御曹司と呼ばれ,また源太と呼ばれていたはずです(おっと義朝は長子だから源太でしょうが,頼朝は三男,義経は九男なので源太ではないですね。為義は確か義親の四男か五男だったと記憶しているので源太ではなく四郎か五郎かと・・・)。
ですから清盛が義朝に,
「源氏の御曹司」
と言ったのも,今回の題名も不当ということになります。
因みにこの2人はライバル関係ということですが,年は清盛が5つ年長。
戦闘能力は馬術も含めて義朝が圧倒的に上でしょう。
保元の乱時点での清盛の実戦経験というのは,多分瀬戸内海の海賊との小競り合いぐらいしか無かったのでは・・・と思います。
尤も,個人の戦闘能力と戦術・戦略の力とは別物でして,平治の戦いでの清盛は,洛中の被害を最小限に留めるという戦術家としての非凡な一面を見せる訳ですが・・・。
来週は何と「殿上の闇討ち」だそうで・・・。
これって父ちゃんの忠盛のエピソードでは・・・。
昇殿を許されたときのことだとすると,長承元(1132)年。
清盛が12歳で元服したとすると,ぎりぎりセーフか・・・。
でもこの時点で清盛は数えで15歳。
かなり無理があるのでは・・・。
・・・で,今日も「陽炎の辻」を続けてみてしまいました。
ベンジャミン伊東を見た後に小松政夫を見るという・・・(70年代根多・・・) 。
脇を固める役者さんたちが良いので,何とか見られるレヴェルかと・・・。
兵庫県知事は,瀬戸内海が汚いと批判していましたが,瀬戸内海沿岸は霞がかかったような天気が多く,からりと美しい海はそうそう見られるものではないような気がします・・・。
特に,山口から広島にかけては・・・。
上川隆也は,毛利元就の長男(隆元)役だったのを覚えています。
格好良かったですね。
今度は薄汚い役所なので,どうなりますか楽しみです・・・。
こんな場面ばかりなら、もう見るの辞めようかしら」と興ざめな気持は確かに持ったものです。
でも我慢して見ていたら、まあまあ見れない事もないと思うようになりました。脇役にそうそうたる役者を
配していて、上川隆也 が今の所汚ない格好でついていて、これから面白くなって行くのを楽しもうと思い
ます。