Nicotto Town


koshiのお部屋分家


まもなく1年・・・

1年前のブログを読み返すことが最近増えた。
あの時期-つまり震災の前後,いったい何を考え何をしていたのか,今更ながらに反芻することが多い。


被災地では,今尚不自由極まりない生活をしている人が多く存在する。
特に,二次災害である津波で生活と家族を根こそぎ持って行かれた方々のことを考えると,自分なんか被災していないに等しい故に心が痛む。
機会が有れば,現地に行って少しでも役に立てれば・・・とは思うものの,仕事を抱えている身としては不可能であり,それもまた気持ちが落ち着かぬ原因の1つとなっている。


いずれにしても,あの時の三日三晩の暗黒の闇の世界と,それに続くひもじかった日々を思うと今でも心が暗くなるのは事実だ。
否,被災していないに等しい私ですらそうなのだから,被災地で必死に生を模索されている方々にとっては如何ばかりだろうか・・・。
いずれにしても,あの時の思いを風化させてはならないと思う。
灯火の無い漆黒の闇の中で,物流が回復しなかったら最悪餓死もあり得る・・・と思ったあの暗澹たる思いを決して忘れてはなるまい。


間もなく1年になる。
来週の日曜日は,厳粛な気持ちで迎えたいと思う・・・。
持ち帰り仕事の最中だろうが・・・。

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2012/03/10 22:21
meianさん,今晩は。
成る程,ぢしんのエネルギー自体が32倍ですか。
いずれにしてもとんでもないですね。
地球内部のエネルギーの大きさというのは,とてつもないです・・・。
猫島とはやはり田代島でしたか・・・。
私は,隣にある網地島(あじしま)に行く途中の船で立ち寄った程度ですが,2.22には愛猫家で賑わうらしいですね。
田代島の牡蠣ですか・・・。
良いですねぇ。
鯨や翻車魚の刺身も出てくるという島でしたので,牡蠣も絶対美味でしょうね。
1日も早い復興を私も願いたいです。
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2012/03/09 20:23
今晩は。
修正と補足を…。
地震の<激しさ>が震度1あがると32倍というのは正確ではありませんでした。
地震の<エネルギー>が約32倍になるというこです。お詫びして訂正します。
もう一つ(汗)
漁協ではなかったです。正しくは「宮城県石巻市田代島 にゃんこザ・プロジェクト事務局
」という復興のための任意団体(社団法人化を目指している)です。
復興が軌道に乗ったら4年後に牡蠣を送ってくれるそうです^^。是非とも再生して欲しいですね。
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2012/03/08 22:47
meianさん,今晩は。
32倍とは凄いですね。
確かに,震度3と4,そして5ではえらく違いますからね。
昨年の6強は一瞬覚悟を決めかけました・・・。

関東地区は停電しなかったのですね。
私は当日携帯webが使えたので,電池を消耗させてしまいました。
猫島漁協・・・はて,宮城県の田代島のことでしょうか・・・。
あそこは人間より猫が多いので,猫島と呼ばれていますが・・・。
寄付をされたとは素晴らしいです。
こうした方々の支えがあるからこそ,復興に向けて努力をする気持ちになるのは間違いないです・・・。
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2012/03/08 00:13
今晩は。
自信の激しさは震度が1上がるごとに32倍になるとか…、当地の震度5強でも(最後が)来たか!
と思ったくらいですから、それほどの被害は無かったと仰るkoshiさんご一家のショックも未曾有の
ものだったでしょう。
私は東京都内で仕事をしている息子を心配し(8時間かけて徒歩帰宅)、震災後は一筋の光明を求めて
ネットや報道にかじりついていたことを思い出します。
数日前に、私がわずかな寄付をした猫島漁協から小規模ながら牡蠣の養殖が緒に就いたとのメールが届き
嬉しく思った次第です。被災地の方々が現在もこのように苦労しながらも前向きに復興を目指して努力
されていることを忘れてはいけないですね。私も心静かに11日を迎えたいです。
ことを
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2012/03/07 23:05
まさるさん,今晩は。
皆さんそれぞれあの日への思いはあるでしょうね。
その「意識」を大切にしながら,日曜日を迎えたいと思います(私も,どーせ仕事でしょうけど・・・泣)。
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2012/03/07 23:04
初穂さん,今晩は。
今でも揺れがくると,ひやりとしますね。
3月中旬から下旬にかけて,スーパーの商品がとんでもなく品薄になったことを,今更ながらに思い出します・・・。
謙譲が美徳と言われてきた筈の日本人が,何と浅ましいのか・・・と,がっかりしたのも当時の記憶です。
風評被害に弱いのも,日本人の属性ですね。

私も当時,日々生きることに必死で向き合っていましたね。
限られた食料を限られた予算で入手して堪え忍んで・・・。
なればこそ,日常が戻ったときの喜びは大きかったですけど・・・。

自分にできることは,仕事をしっかり行って家庭を守り家族を養うこと,そして何らかの形で,被災した方々へ支援の手をさしのべること・・・ぐらいでしょうか・・・。
とにかくあのときの記憶と思いを,決して風化させぬようにして,次の日曜を迎えようと思います・・・。
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2012/03/07 22:56
みるるさん,今晩は。
そちらだと1.17でしょうか。
あの時は,都市型災害の恐ろしさを目の当たりにしましたが,今回はそうした被害以上に二次災害の津波の恐ろしさがすべてでしたね。
被災地の瓦礫の撤去は,一割程度も進んでいないということです。
行政がちにかくしっかりと復旧対策を進めてくれないと,どうもなりませんね。
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2012/03/07 20:17
俺は被害がまったくなかった人間ですが、あの日の事は忘れられないと思います。
あの出来事から1年。
いろんな意味での「意識」を再確認する1日にしたいと思います(どーせ仕事ですがw)。
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2012/03/07 19:09
殆ど被害と言える被害を被ってない私でさえ、3/11は感慨深いです。
後になって思うと大した事は無かったですが、揺れた当初・・・それに大きな余震が収まらなかった暫くは、毎日冷や冷やしながら生活していたように思います。
スーパーやコンビニから食品や日常品が一切消えたのも、ショッキングな光景でした。
これが現代日本の光景かよと・・・。
何と言うか、“生きる為に懸命だった”って感じですね。危機に瀕しているとかそうでないかとかは別として。
生きる事にこんなにも向き合ったのは、もしかして生まれて初めてだったかも。

一年経ちますが、正直復興も何も出来てはいないのが現状でしょう。
特に原発関連の事を思うと・・・終息するのはいつなのだろうかと。
取り敢えず、平穏なまま3/11を迎えられる事を願いつつ。



助けたいと思うもの全部を助けられるほど、人の手は大きくないですし、腕の力も強くは無いです。
自分の家族、身内、守れる範囲にある大事なものを精一杯守れば、それで大丈夫だと・・・思うのですよ。
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2012/03/06 21:32
ゆらゆらと揺れたくらいの記憶しかないのですが、その後のことを思うと本当に何とも言えない気持ちになります。
自分で行っているのは、コメを買うくらいです。
皆さんの気持ちが少しでも元に戻るように、生活の基盤を行政でもっと進めていってほしいと切に思います。




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