3.11・・・・・
- カテゴリ:日記
- 2012/03/11 14:20:33
あの日から丁度1年。
間もなくその刻限になろうとしている。
そして津波が到達したのは,地域によって違いはあったもののその1時間後であった。
今思うと迂闊極まりないことに,大きな揺れの被害と家族の安否(相方がよりによって携帯忘れて,私も前夜充電せず,夜7時過ぎまで分からなかった)にのみ気持ちが行って,津波による二次災害にまで気が回らなかったというのが現状である。
実は,その3年近く前の2008(平成20)年6月14日の内陸地震の際も同様だった。
あの日は土曜の朝だったが,試合のあった上の子と相方を海浜の野球場まで送った帰り,偶然通った聖地Kスタ宮城の前で大きな揺れに遭った。
内陸が震源だったから津波被害は皆無だったが,昨年の地震のように宮城県沖が震源だったら,間違いなく助からなかったであろう。
何せ,その野球場(海浜緑地球場)は,去年の今日津波を被って現在も瓦礫置き場となっているくらいだから・・・。
私が今こうして家族と共に自宅で平穏に追悼番組を見たり,PCに向かっていたりできるのは只の偶然の所産でしかないのである。
市の中心部に程遠からぬ高台に居を定めたこと(市南部の平野部は,暖かいとは言うが,水が上がったことが有ったので敬遠したし,東部は実家に遠いので考えなかった),たまたま耐震免震構造の建物の中に居たこと・・・といった偶然が重なり,幸いにして生き延びることが出来たに過ぎない・・・。
知人の知人には,たまたま当日市内東部の海沿いに仕事で行き,災禍に遭って命を落とした者も居るし,海沿いの工場に勤務していた知人はごった返す西に敢えて逃げず,丘陵の走る北を目指してひた走って避難所に駆け込んで助かった・・・ということは以前書いた。
全くをもって人ごとではない・・・。
私と家族が同様な運命を辿るのに何の不思議も無かったのである・・・。
現在も34万人が居を失い,避難所での不自由極まりない生活を強いられている。
瓦礫の撤去は6%しか終わっていないとも言われる。
政府が出した原発問題収束宣言を信じる者は誰も居るまい。
こうしているうちにも一昨日来幾度とない揺れを感じる・・・。
1年で完全復興などあり得ないし,況してやあの日を境に生活と家族を失った人たちの傷は癒えるはずもない。
しかしそれが故に,残された私たちは自分たちの役割を全うしなくてはならないと思う。
被災地には多くの災害ボランティアが集い,勿論無償で必死で働いているという報を聞き,その姿勢に目頭が熱くなると共に,動きがとれないでいる自分を顧みて悔しい思いをすることもある。
しかし,今の自分に出来ることは,家族の安全を保証して養うこと,そして仕事を全うすることだと思う故に仕方ないとも思う・・・。
せめて季節が良くなったら,かつて訪れたことのある被災地を再訪し,香華を手向けてこようか・・・とも思う・・・。
各地では多くの追悼行事が行われ,我が町でもボランティアの方々の肝いりで,昨夜市内を一望する山で花火が上げられた模様である。
私に出来るのはせめて14時46分に合掌して黙祷を捧げることぐらいだが,哀悼の意を表すのに1曲貼っておく・・・。
せめて,あの時の思いを決して風化させない為にも・・・。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=s014nrgi0M4
http://www.youtube.com/watch?v=1Hn2Uzzm3hs
闇の中で灯明のか細い明かりを頼りに過ごした三日三晩。
通電して改めて惨状に驚愕した翌週。
原発被害によって,多くの風評にさらされたその後。
炭水化物しか食せず(有っただけましですけど・・・)空腹感を抱えたまま,このまま流通が回復しなかったら・・・と暗澹たる思いで過ごした二週間・・・。
こうしたことを決して忘れず,生き延びることが出来た僥倖に感謝して,日々やるべきことに邁進するのが私の使命・・・と思っています・・・。
ブルックナーの最後の交響曲は,敬虔なクリスチャンだった彼が,「神に捧ぐ」として書いたまさに彼岸のシンフォニーです。
2つのURLはいずれも第1楽章の前半と後半,演奏はアバド指揮ベルリンフィルです。
後半の方が,やはり熱が入ったでしょうし,終曲コーダの絶望感とカタルシスなんか充実していますね・・・。
ありがとうございます。
仰るとおりだと思います。
思いを忘れずに,生活していくことが大切ですね。
決して風化させてはならないと思います。
1年前,震災直後のまさるさんの行動を知って,感涙にむせんだ私です。
遠くの方々が,我々のことをこんなに案じてくれて,自ら行動を起こしてくれる・・・。
堆く積まれた救援物資の様子に,本当に人の心のありがたさを感じました。
私も何らかの行動を起こしたいと思います・・・。
ありがとうございます。
こうして1年たって,改めて人間の絆の強さに感じ入ることしきりです。
何らかのリアクションを・・・と思っておられる方のお話を聞くと,唯々ありがたく目頭が熱くなります。
そうした方々の志に応えるべく,我々も復興のためにやるべきことをやらなくては・・・と改めて思います。
1年前いただいた詩がとても嬉しく,根っからの東北人としては大のお気に入りだったのですが,今回もまたありがとうございます。
唯々涙が出るほどありがたいです・・・。
東北は山も川も海も美しいところです。
有史以来,幾多の旱魃・飢饉,そして絶えることのない戦乱に見舞われてきましたが,都度粘り強く復興を遂げてきました。
今度だって,目には見えない復興の槌音が聞こえます。
生き残った我々の使命を改めて認識して,邁進していきたいと思います・・・。
その時、当地の震度5強で感じた恐怖、東北の町や村を襲う津波の恐怖、そして原発の恐怖と
平常心を保ちようのない日々でした。仰るように私たちはたまたまの積み重ねの結果として
今を生きているのですね。そう考えると今在ることの僥倖に感謝せずにはいられません。
今は一人ひとりが己の本分を尽くしつつ、被災された人々を支援していく決意を新たにする時
だと思います。
ブルックナーの交響曲9番、眼を閉じて聞くと深い哀悼の気持ちが湧いてきました。
私は最初の演奏の方が深みがあるように感じて良かったです。同じウィーンフィルなのに異なる
印象を受けました。録音の違いですか?
それぞれのおもいをわすれずにいつづけたいとおもうしだい。。。
自分にできたのは、毎月少額の義援金(もしくは物資)を送付することだけでしたが、そろそろ違う形での被災地の復興に向けた取り組みを考えなくてはいけないと、真剣に考えた1日でした。
あの時、私も家族の安否が第一でした。
こちらでは、津波の心配はなかったものの・・・
kosihさんとご家族様がご無事で本当に良かったです
復興進んおらず、未だに避難生活を送っている方も多く
一日も早く心が落ち着ける生活に戻ってほしいと祈るばかりです
また、あらためて自分にできる事は何かを考え
たとえ小さなことでも、行動にうつしたいと思います。
多くの人の命が消えた去年、あれから一年も経ったのか、
いやまだ一年しか経っていないのか、その思いは混沌しています。
美しき東北の桜よ
数多の希望をのせて
咲き誇れ !
と詠んだのは昨年ですが、今年も思いは同じです。
美しき
東北の地に
満開の
桜とともに甦れ
青い海