Nicotto Town


koshiのお部屋分家


「昭和」から見えてくるもの・・・

ローカル根多で恐縮ですが,一昨日所用で旧市街へ行きました(私のところは昭和末期の合併によって市域に編入された)。
その際に,年代ものの町名表示板を発見。画像は↓。
http://blog.goo.ne.jp/fw14b_2005/e/9f30489b85a3b9ef94dcc8645df09859
ホーロー引きで,青地に白字。
昭和40年代のものと想像されますが,実に良い風情を出しておりました。
我が街に区政が施行されたのが平成初頭と記憶しておりますので,それよりもさらに20年程前のものということになります・・・。
昭和40年代前半は,まさに高度成長がピークに達した時期でした。
特に,昭和45(1970)年にはその宴とも言うべき日本万博が大阪の千里丘陵で開催され,国民はそれに酔い痴れました・・・。


この表示板が設置されたのもそんな時期だったと思われます。
寄贈したのは,市内○町(伏せ字になっておらん)にあった洋菓子店の嵯加露府(さかろふ)。
私より上の年代の者にとっては,多分特別な存在の店であったと思われます。
TVでもしょっちょうCFが流れており,ロシアケーキやロシアチョコレート(当時の表記はロシヤ)で有名な店でした。
今は,その場所に店は無くなり(結局一度も入らずじまい),すべてはあの時代のものとして忘却の彼方へ・・・と思っていたら,何と市内南西部の丘陵地帯にある住宅街に存続していました・・・(先の宮城県沖地震で大きな被害があったところです)。
http://www.sakarofu-delice.com/index.php
駐車場も無く,大変行きにくいところと思ったのですが,市内は400円で通販もしているとのこと。
ついつい買ってみようか・・・という気にさせられます・・・。


我が街では消えゆく旧町名を惜しんで,道標を街中に立てています。
17世紀初頭の藩祖公による開府と城下町形成以来,職人町独特の多くの味のある町名が誕生した訳ですが,それらの大部分は地番・町名変更により消えていきました。
郵政事業の観点からは非合理的ということになるのでしょうが,地名というものは律令制以降の大切な文化財ではないかと思う私としては,平成の大合併をはじめとする地名の改ざんが残念でなりません。
そうした意味でも,今回発見した町名表示板は,古き良き時代を偲ぶ貴重なものと感じました。
懐古趣味とか感傷と思われるかもしれませんが,中央○丁目とか本町△丁目と言われるより,北材木町△□とか南染師町◇×・・・(いずれも今は無き我が街の旧町名)と言った方が,余程詩情を感じると思います・・・。
合理化とか経済的理由によって,日本人は大切な文化遺産を自らの手で葬り去ってきたような気がしてなりません・・・。
その地に住まれる方には失礼を承知で書きますが(済みません),静岡県伊豆市ってどこでしょう・・・(その北隣は伊豆の国市だそうで)。
静岡県田方郡天城湯ヶ島町・・・では駄目だったのでしょうか・・・。

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2012/12/16 21:26
みくさん,今晩は。
当て字ですよね・・・。
確かに時代を感じます。
我が街には,旧町名の道標がありますが,戦災で焼けたために古い街並みは残っていません。
せめて,そのようにして藩政時代の名残を少しでも留めようという有識者達の努力が少しずつ実っています・・・。
観光名所にはなれないと思いますが,せめていにしえを偲ぶものは残しておきたいです・・・。
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2012/12/16 21:22
meianさん,今晩は。
平成の大合併は,政府がかなり後押ししましたね。
日本中にへんな地名が溢れました。
南アルプス市だの南セントレア市だの甲斐市に甲州市。
どこがどこやら分かりません。
懐古趣味や感傷と言われようと,文化遺産を守る・・・という強い意志力の必要性を感じました。
大多数の日本人にとってはどうでも良いことのようですけど・・・。
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2012/12/12 17:51
ロシアチョコレート カサロフ・・・の
当て字が凄い!
時代を感じます・・・。
昔の町名は味がありますね
昭和の町が好きな人は沢山いるのみたいなので
残しておくといいですよね。
後々、観光名所になれそう
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2012/12/11 11:23
こんにちは。
町名の改名は歴史の改ざんに等しい行為です。
為政者、事業者にとっての合理性は文化の破壊を招きますね。
地下に埋もれて初めて(埋蔵)文化と認識されるのは非合理だと思うのですが…。




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