雪の日の惨劇-源家滅亡;下手人は ・・??
- カテゴリ:その他
- 2013/02/14 20:18:07
便利な世の中になったもので,お気に入りの大河「草燃える」(79)のOPを見ているうちに,かつて書き殴った拙エントリを思い出しました。
根多切れだし,場所埋めも兼ねて再構成して掲載したいと思います。
つまり手抜きエントリですが,ご容赦いただきたいと思います・・・(虫がよいのは重々・・・)。
惨劇は,夕刻に起こった。
承久元(1219)年1月27日,昼過ぎから降り始めた雪は靴が埋もれる程積もったであろうか。
前年暮れの右大臣就任を祝った拝賀を終えた将軍実朝は,鎌倉鶴岡八幡宮の石段をゆっくりと下り始めた。
実朝と従者の一段が石段の中程まで達したとき,
「父の仇,覚悟!!」
右手の聳える大銀杏の陰から飛び出した僧形の武者が太刀を振るい,実朝を一刀のもとに切り伏せる。
続いて返す刀で,実朝の太刀持ちであった源仲章が斃される。
僧形の武者は悠然と実朝の首を打ち,そのまま雪の中へ忽然と消えていく・・・。
実朝を討ったのは,兄-即ち二代将軍頼家の二男である公暁(幼名善哉)。
幕府創設者頼朝の後を継いだ父の頼家が,伊豆修善寺で横死した後,ただ一人残った孫を哀れんだ頼朝未亡人北条政子が京の寺に預けていたが,血気盛んな十代でもあり,仏法の修行は全く進まず,先年京を脱走し,鎌倉に戻っていた。
この将軍暗殺という天地驚嘆の大事件は間もなく呆気ない結末を迎える。
何と実朝の首を打った公暁が,確かその夜のうちに自分も首になってしまうのである。
かくして,源氏の正統は,宿敵平氏が滅んだ34年後に滅びることになる。
まさに盛者必衰の理,諸行無常の響きである・・・。
その後,鎌倉幕府は,将軍の補佐を行う執権職というNo2の地位にあった北条氏の独裁となり,2年後には源氏滅亡を期に一気に鎌倉殲滅を図った後鳥羽上皇に対して兵を上洛させてこれを押さえ(承久の乱),三代執権泰時,五代執権時頼の時にその権力は最大となる・・・と教科書に書いてあった・・・。
さて,この実朝暗殺事件,当然の事ながら公暁の単独犯行ではないことは明白である。
公暁に対し,
「現将軍を亡き者にすれば貴方が次なる将軍」
なる好餌をちらつかせて,煽ったやつが必ず居るはずである。
そやつが真の下手人となる・・・。
実朝暗殺の黒幕,そして公暁を葬った下手人は一体誰なのか?
同一犯なのか,別々の者が殺ったのか,それとも偶然なのか・・・。
一般的には,というか,今までは執権職だった北条義時(政子弟)が公暁を唆して実朝を暗殺させ,将軍暗殺の下手人を成敗する,という名目で公暁をも討ち,一気に源氏の正嫡を葬り去り,北条氏による独裁体制を築き上げた,ということになる。
確かに辻褄が合っている。
この後北条氏は承久の乱に勝利し,京都から摂家将軍(藤原氏)や皇族将軍を迎え入れて,所謂得宗家(北条氏嫡流)独裁の時代を築き上げる。
しかし,実はこれには大きな矛盾が残る。
伊豆国田方郡の小豪族に過ぎなかった北条氏が,権力を得るきっかけとなったのは勿論政子が頼朝の御台所となったことからだが,政子の妹保子は頼朝弟の阿野全成(母は常盤御前,つまり今若丸)に嫁した。
そして,夫が頼朝没後の御家人たちの権力抗争に巻き込まれて命を落とした後も,実朝の乳母として隠然たる力を持っていた。
この時代の乳母の権力というものは絶対的だ。
頼朝が,配所の伊豆で世捨て人同然の生活をしている時は,比企の尼(名前不詳,西武に勢力を持っていた比企氏出身)なる乳母が何かと面倒を見ていたし,時代を下ると徳川家光の乳母であった春日局も有名だ。
つまり,北条氏は源家との婚姻によって勢力を培ってきたと言えるであろうし,将軍の母政子,将軍の乳母保子が,がっちりと源氏とのパイプ役を務めてきた,とも言えよう。
従って実朝は北条氏にとって権力の旗印であり,如何に傀儡であったとしてもこの両者は表裏一体の関係であったとも考えられる。
だから,乳母も夫人も比企氏出身だった前将軍頼家は,北条時政・義時父子によって,比企氏共々排除されたのも当然,となる。
一言で言ってしまえば,実朝暗殺は北条義時にとって痛恨事であったと思う。
何せ義時の,旗印にして看板,を失ったのだから・・・。
では,北条義時が黒幕ではないとすると,一体誰が公暁を唆したのか?
そして,その公暁を始末したのは誰なのか?
このことを推し量る材料として,その日の義時の動向を見てみると,不可解な点があった。
義時は,当然将軍に供奉して太刀持ちの役を担い,鶴岡八幡宮に詰めていた。
ところが,拝賀も無事終わり,将軍が鶴ヶ岡八幡を出る段になって,身体の不調を訴え,文章博士の源仲章と太刀持ちの役を替わっていたのだ。
そして,仲章は実朝と同様,公暁に斬られた・・・。
これは,自分が公暁を唆したから仲章を身代わりにした,ということになっていたが,義時が実朝暗殺の黒幕ではないとしたら,身の危険を察知して事前にその場を逃れた,ということが考えられる。
公暁側とすれば,実朝と同時に義時も葬り去れば一挙両得である。
或いは公暁側の誰かが裏切って,義時に注進したとも考えられるし,義時が諜報網を巡らせて情報を入手したとも考えられよう。
じゃあ,誰が公暁を唆し実朝を暗殺させ,誰が公暁を屠ったのか・・・??
やはり,長くなってしまったので,結論は明日・・・(出るのか??)