目出度くもなき日に・・・
- カテゴリ:音楽
- 2013/03/01 22:04:02
今年もまたこの日がやってきました。
多分,抵抗感を持つようになったのは17~8の頃からだったと思います。
丁度少年から青年への橋渡しのような時期ですが,今からは想像できない程多感だったあの時代,大人になることへの抵抗感が大いにありました・・・。
以来幾星霜・・・。
かつての少年は,圧倒的に後悔することが多かった青年時代を経て,それまで気にすることがなかった体重増加を気にする唯の中年になり,また1つ齢を重ねることとなりました・・・。
このおめでたくもない日には,ブログ開設・SNSデビュー以来,お気に入りの楽曲を紹介してきました。
05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年 交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
・・・といった感じで,最初の3曲がわりとまっとうな路線なのに対して,ここ3年年は一昨年の瀟洒な小組曲を除くと,自虐的とも言えるようなどす暗い路線です。
でもって,今年は何にしようと考えたのですが・・・。
歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)。
独のオペラ王ワーグナー中期の傑作です。
数々の苦難に遭うブラバンド候の王女エルザが,白鳥の化身である騎士ローエングリンによって救われ結ばれるも,約束した素性を聞かないという禁を破り(「禁問の動機」が提示されます),最後は悲劇的結末に終わる・・・というものです。
有名な楽劇「ニュールンベルグの名歌手」がワーグナーの作品にしては珍しく喜劇なのに対して,この「ローエングリン」は,何とこれまたワーグナーらしからぬ純愛ものとでも言いましょうか・・・。
無垢な乙女が誠実な騎士によって救われ・・・という鉄板なストーリーですが,平易な旋律線等イタリアオペラの影響が処々に見られ,実に聴きやすいオペラとなっています。
1850年,リストの指揮によってワイマールの宮廷劇場で初演した際には,何でも後のバイエルン国王ルートヴィヒII世も見ていたという話で,後に国を傾けてまでもワーグナーのパトロンとなり,有名なノイシュヴァンシュタイン城の地下室に「ローエングリンの間」まで作る程,この作品に入れ込んだということですし,ヒットラーもこの曲に心酔し,国威発揚にワーグナーやリストの楽曲を利用したことは有名です・・・。
第3幕は,この壮麗な序奏によって幕を開けます。
つまりエルザとローエングリンの婚礼が大聖堂に於いて賑々しく執り行われる場面です。
2/2拍子の緩やかなテンポですが,弦楽による八分三連音のアルペジオに乗るブラスのユニゾンを聴くとぞくぞくします(指揮するのは難しい・・・)。
劇的盛り上がりを見せて終息した後に導入されるのが,有名な「婚礼の合唱」(結婚行進曲)です。
つまり,私も含め多くの方が結婚式で使用したこの曲は,悲劇の曲でもあるわけです・・・。
原曲通りだと,上記の通り合唱が導入されるのですが,コンサートピースとして演奏される場合は,劇的盛り上がりを見せる後半の頂点で終わるか,本年のニューイヤーコンサートで演奏されたように,「禁問の動機」を加えてより劇的且つ壮麗に終わるようです・・・。
しんねりむっつりでいて,実は女性に弱く,生涯独身だったというブラームスの楽曲も魅力的ですが,私のような世俗の垢に塗れまくった男には,やはりワーグナーこそ相応しい・・・と勝手に思いつつ齢を1つ重ねました。
体力が有れば,バイロイト祝祭劇場ライブの舞台を見て寝たいのですが(LDです),どこかに80年のバイロイトライブ(エド・デ・ワールト指揮)の映像が眠っていないものでしょうか・・・。
先日NHKでダイジェスト版をやったスカラ座のライブは,エルザ役は清純な感じで良かったのですが,肝心のタイトルロールであるローエングリン役がどうも今風というか,白鳥の騎士には見えなかったので・・・。
・・・でもって,上記ニューイヤーコンサートのライブを貼ります。
http://www.youtube.com/watch?v=eU9KKBD1CdM
ウィーンフィルが,「禁問の動機」付きを演奏したのを聴いたのは初めてです。
因みに,この曲は1度だけ演奏したことがあります。
実際にやってみると,やはりとんでもない曲と言うべきでしょうか・・・。
譜面面(ふめんづら)を超越したところに,きっと超自然的な何かがあるのやも知れません・・・。
ありがとうございます。
私はよい年にもかかわらず,煩悩は多分10代のままだし,不惑を過ぎても懊悩することしきりなので,こうした楽曲に惹かれるのやもしれませぬ・・・。
>ブラームスは、知的に構築する中に失われた歌を溶かし込み、
ワーグナーは、全てを総合しようとする中に、新たな亀裂=未来を見てしまい、
ドビュッシーは、その亀裂から、異教や異界の宇宙を開いてしまう……。。
・・・素晴らしい・・・
仰るとおりでして,私めが凡百の言語を駆使しても,このような絶妙な表現は できませぬ・・・。
思うに,前期ロマン派が古典的な様式や均整感を踏襲したのに対し,後期ロマン派はそれを踏まえつつも心情の吐露や煩悶を溶かし込んでいった結果,マーラーのように肥大化したり,様式感を破壊するような結果となり,より生身の人間の姿が浮き彫りにされていくことになったのでは・・・と思ったりします。
ブラームスの楽曲なんて,古典的様式感の中に抑制された自己が強烈に投射されているような気がしますし,ブルックナーのシンフォニーは,加えて神への思いや祈りが金管の重奏に込められ,深遠なものとなっているような・・・。
ありがとうございます。
音楽を味わったり,歴史を繙いたりする行為は,理屈や理論ではなく感覚で味わうものと思いますので,難しい部分は蓋をして,自分が必要なところだけを味わえば宜しいと思います。
ワーグナー好きな彼氏ですか・・・
いや~,ニーベルンゲン伝説を語り合えるならとても宜しいですが,性格行動まで似られては・・・って,余計なことですね・・・。
おめでとうございます*^^*.。・*❀*
ローエングリンをテーマに…とは……。。。
「…にして不惑」などという伝えも今は昔…
還暦過ぎても思春期の煩悶を引きずるような人も、しばしば見かけますし…
シューベルトらの初期ロマン派が、青春の煩悶をくったくなく歌っているのに対し、
後期ロマン派の音楽は、取り返し得ぬ若き日の思い出で屈折を折り重ね
しかし悟りには至れぬ壮年の煩悶を、
様々に織り上げているようにも思えます。
ブラームスは、知的に構築する中に失われた歌を溶かし込み、
ワーグナーは、全てを総合しようとする中に、新たな亀裂=未来を見てしまい、
ドビュッシーは、その亀裂から、異教や異界の宇宙を開いてしまう……。。
ところで………コシさん、この曲やったことあるって!
オーケストラやっていたのですか!
素敵だなぁ。。。
楽器は何なのでしょう?
お誕生日おめでとうございます。
koshi さんのお話は音楽も歴史もわたしには難しいです。
でもとても勉強になります。
ワーグナー 最近よく聞きます。
むかしーの彼がタンホイザーが好きで 今の彼がニーベルングの指輪が好きなので。
ありがとうございます。
仰るとおり,やはり目出度い日なのですね。
こうして齢を積み重ねてきたのか・・・と思うと感慨深いものがあります・・・。
ありがとうございます。
お風邪のところ,足をお運びいただき恐縮です。
「ローエングリン」は,第1幕への前奏曲,第2幕終盤の「大聖堂へのエルザの行列」,そして第3幕への序奏と婚礼の合唱・・・と名曲の宝庫ですので,ぜひお聴きいただき,感想など教えていただけると嬉しいです・・・。
ありがとうございます。
お祝いのお言葉,何よりです。
ありがとうございます。
そうですね・・・。
幾星霜の年月がたっても、決して忘れられない日ですよね^^
これからの一年が、ステキでありますように。
お誕生日、おめでとうございます!
今夜は遅い時間なので、素敵な物語付きの楽曲は明日拝聴させて頂きます^^。