Nicotto Town


koshiのお部屋分家


3.11・・・

大切な日なのだが,仕事が終わらず,帰宅は9時を大幅に回った・・・。
突如として強風と寒波が北日本を見舞い,朝はうっすらと積雪。
帰宅時は再び氷点下となり,家の周囲は凍っていた・・・。


思えば2年前のあの日も,夕刻に小雪がちらついた。
その中で,家族の安否も分からぬまま仕事を黙々とこなし,深い闇と静寂の中へ帰ったことも,勿論鮮明に記憶している。
そして,翌日になって知るに至った沿岸部の惨憺たる状況と分断されたライフラインによって如何に都市部が災害に脆弱であるかを痛いほど知らされたことや,このままインフラの復興が滞り,物流が復旧しないと,最悪の場合餓死や栄養失調もあり得る・・・といった暗澹たる思いと,震災の翌晩に見た灯火の無い星月夜の美しさも・・・。


あれから2年,あっという間に月日が過ぎ去った・・・。
ほぼ被災していないに等しい私ですら,震災前・震災後という時系列でものを言うことが多くなったのだから,大切な人や大切なものを失った方々のその心中を思うと,私如きが何も言う資格は無いと思う・・・。
只1つだけ言えることは,喉元過ぎれば熱さを忘れた私にとって,あの時覚えた暗澹たる思いは決して忘れてはならないということだ・・・。
不自由極まりない生活を思い出し,普段通りの日常が,停滞することなく続くことを甘受する幸せを噛みしめることこそ肝要だろう・・・。


哀悼の意を込めて一曲貼る。
願わくは,犠牲になった方々を鎮魂し,残された方々の生きる希望となるよう・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=dJelOS-fjrY

#日記広場:日記

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2013/03/12 20:31
あの時の体験は一生涯忘れることはないと思います。

「死ぬかと思った。」と言いながら、私の住環境は万全でした。
父の教えと備品が本当に役立つとは、半信半疑ながらも想定内でしたから。

私の所は、電気も翌日には復旧しました。
でも、そこから周りは真っ暗でした。

あの中で余裕があった私にできる事をしたいと思いました。
情報を得ると直ちに支援活動を行いました。
今振り返ると、その気になって行動した事によって、後悔する事無くて良かったと思います。

その体験から人生観が変わった事も認識してます。
あの時は懸命でしたが、今はそれほど奮い立たせる気持ちにはなっていません。
当時のブログを読み返すと、あの前後で、自分が変わった事も分りました。
でも、その後の支援活動は行っていません。
今でも出来る事がある筈ですが。
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2013/03/12 17:11
長かったような、短かったような…な2年間でしたね。
被災地の映像を見ると、ともかくも瓦礫は片付きつつある…という風にしか見えない場所も多くあります。
人間の生活基盤というものは、つくづく脆いものですね。
でも、あの日から被災地の方はもとより、日本人の意識がかなり変わった気が致します。
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2013/03/12 11:20
こんにちは。
被災者のみならず、日本国民ひいては世界を不安に陥れた大地震と原発メルトダウン…。
あっという間に2年が経過し、被災地以外の国民には一抹の不安はあるものの
日常が戻りつつあります。
しかし、報道によって知らされる被災者世帯の悩み苦しみは未だに続いていて、
先の展望が描けないいらだちも察するに余りあります。
仰るように、平穏な生活を営めることに感謝し、被災地の方々に思いを馳せる日々を
過ごしたいと思います。

死者に安息を!と深く静かに祈る気持ちにあふれ、残されたものにも勇気を呼び起こす
鎮魂にふさわしい名曲でした。




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