二度と有ってはならぬ・・・
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- 2013/04/22 19:45:06
先日のボストンマラソンに於ける爆弾テロの犯人は,何とチェチェン人の兄弟だったという。
射殺された兄は26歳,身柄を確保されて重傷という弟は19歳だそうだ。
何年か前に,両親と母国を脱出。
アメリカにやってきたものの,移民に対する目は厳しかったのであろうか・・・。
チェチェンというと思い出されるのは,20世紀末の2度にわたるチェチェン紛争である。ソ連邦崩壊後,ロシアがチェチェンの独立を認めず,軍隊を派遣して首都グロズヌイを占拠したものの,泥沼のような戦いが続いた。
そしてその間,ゲリラ化したチェチェン独立勢力は,アルカイーダ等イスラム過激派と結びつき,ロシアに対するテロ行為が後を絶たなかった。
99年のモスクワのアパート連続爆破事件,2003年6月のモスクワ野外コンサート会場爆破事件,翌年8月のハイジャック事件(今時こんな割の合わないテロを起こすなんて信じられぬ思いだった),そして05年9月の北オセチアの小学校占拠事件(銃撃戦の結果,400人近くが犠牲となった)が記憶に新しい。
旧ソ連邦に関しては(否,も),全く知識に乏しい私なので,改めて地図を繙いてみると,丁度黒海とカスピ海の間,急峻なカフカス(コーカサス)山脈の北側に位置する。
首都グロズヌイは,中学生の頃,石油が採掘される都市と暗記したのが唯一の知識である。地勢的には,中央アジアの西,南隣のグルジア,アゼルバイジャン,アルメニアを経てイランに至るし,東はトルコなので,完全に中東と隣り合わせでイスラム圏ということになる。
祖国を去ったこの兄弟が,アメリカ社会に於いて孤立を深めたであろうことは想像に難くないし(兄は,アメリカ人の友人は居ないと生前語っていたという),大国に踏み躪られた祖国を思い,イスラム過激主義に傾倒していったことも十二分に理解できる。
しかし,だからと言って,この行為が許される筈はない。
祖国にもアメリカにも安住の地を見出せなかったであろう移民の苦渋は,きっと想像に絶するものだったことだろう。
ロシアに祖国を蹂躙され,アメリカにも受け入れられなかった移民の悲劇は,移民社会でもある西洋諸国にとって,今後検討して行かなくてはならない重大な社会問題である。
それにしても,無差別テロが,許される筈はなかろう。
パトリオットディとマラソンのゴール(昨年のデータだと,一番ゴールした者が多かった時間帯だった)を狙って多くの関係のない者を狙った無差別テロは,どんな理由を付けても許し難い・・・。
かつての9.11テロの際,私の職場では「アメリカ帝国主義がすべて悪い」と息巻いていた者が居たが,イデオロギーと宗教と歴史と現代社会が絡み合ったテロが,そんな簡単に白黒を付けられるものではないだろう。
むしろ,無差別に関係のない一般市民を殺傷した行為そのものを,を憎むべきだろう・・・。
昨日行われたロンドンマラソンでは,参加者が減ることはなく,むしろ増えたという。
テロや不当な暴力に屈しない-これもまた大切なスポーツ精神の1つなのだろう。
勿論,競技会場の安全性は十二分に確保されなくてはならないし,スポーツに政治や信仰を,決して持ち込んではならない・・・。それにしても,チェチェンとチェコを間違う輩が多くて困っている・・・と,チェコの大統領が言っていた。
何をか況んやだ・・・
仰るとおり,万死に値する愚行だと断言します。
これがジハードだとか正義だとか言ったら,宗教とはそういうものではない・・・と言いたいです。
只,今後の欧米社会にとっての移民対策は,極めて大きな社会・政治問題となるでしょうね。
東西対立が終焉を迎え,国際情勢は複雑さを増したような気がしてなりません・・・。
そして初めまして。
丁寧で真摯なコメント,感謝致します。
仰るとおり,宗教やイデオロギーによって,テロリズムを正当化することは,如何なる理由を付けたとしても,人道的に許される筈もなく,大国のエゴや人種・宗教上の差別を理解することが出来ても,関係ない人を巻き込んだ無差別テロを容認することなど,絶対出来ませんし,あってはならないと思います。
人類は,旧約聖書の時代から不毛な争いを続けてきました。
近代に至っては,東西対立という大国のエゴが中東や中央アジアを蹂躙し,やがて20世紀を実験場とした共産主義が失敗に終わり,ソ連邦が解体後は,民族・宗教上の対立が顕著となりました。
民族とは誇るべきものであっても,排他的になっていけないですし,宗教は,信仰・信教の自由を大前提とするべきです(その点,我が国の浄土真宗の思潮は深いと思います)。
戦争に善悪は付けられませんが,テロリズムは,如何なる理由があっても悪だと信じます・・・。
この種の事件の報道を聞くと、天を仰いで溜息をつくばかり…。
恨みや疎外感から無差別にテロを実行するに至る心理が理解出来ません。
紛争から逃れて来たのに、人種のるつぼといわれる米国社会にも二人の兄弟の
生きる途がなかったのでしょうか…。
そこに至る心理的過程が明らかになるにつれ、「そうなるのもわからなくもない」と思う人はいるようです。しかしながら、やはりそれはそれ。
どんな不幸な環境に育っていようとも強く未来を歩く人々は山のように世界にいるわけです。
仰る通り、この行為が許されることは永遠にないでしょう。
彼らの正義への報復は、ゴールで父親を待つ子どもを殺すことで終わりにできるのでしょうか。
三十代の警官を撃つことで変わるのでしょうか。
あの時に何人もの人が足を失うことで報復が終わりになるのでしょうか。
多くの人によくよく考えて欲しいと思います。
移民で新しい国に馴染めなければ人を殺していいのかと…。
ありがとうございました。