Nicotto Town


koshiのお部屋分家


宮戸島紀行・・・

最後に訪れたのは,もう20年以上昔の92年の11月と記憶している(第II期ホンダのF1最終戦豪州GPで,私の好きな私生活のワールドチャンプ,ゲルハルトが優勝した)。
勿論,独身時代で,海釣りを始めたばかりの時期だった。
夕方宿に着き,しばらく浜でぼうっとして,豪華絢爛たる夕食の膳に就いた。
本日上がったばかりの鰈の姿造りを始めとする舟盛りを筆頭に,海の珍味が目白押しで,当然のことながら酒が進んだ。


翌日は,釣船を出して貰い,奥松島のポイントを回った。
所謂嵯峨渓と呼ばれる奇勝であるが,前日過ごしすぎたせいか慣れるまで船酔いが酷く,特に仕掛けを作っている時に気持ちが悪くなって,せっかく食したおいしいものを海に還してしまった(爆)。


そんなこんなで,次第に船にも慣れ,短めの振り出し竿にブラクリを付けて,鮎魚女(アイナメ,この辺りではネウとも言う)を探って数時間,20cmを超えるやつがバタバタとヒットした・・・。
私は,天秤の一方にブラクリを付け,いま一方には普通に釣り糸と針を付けるという仕掛けで探ったが,1度だけダブルでヒットしたこともあった・・・。
尤も,船主である民宿のご主人は,只の針とおもりのみの仕掛けで,私の倍近く上げたのだが・・・。
いずれにしても,クーラーボックスいっぱいの釣果を持ち帰り,当時住んでいた県南部にあった1Kのアパートの台所が生臭くなるくらい捌いて,食べきれぬ分は冷凍庫に突っ込んで,職場や実家に持っていったものだった・・・。
通称奥松島と呼ばれる桃生郡鳴瀬町(現東松島市)宮戸島(橋で本土と繋がっている)室浜での出来事である。


その室浜が,一昨年の東日本大震災により,壊滅した。
宮戸島には,室浜の他に月浜,大浜(以前に行ったこと有り)と3つの海水浴場があり,防波堤での釣りも楽しめるのだが,一番外洋に面している室浜の被害は甚大であった。
宮戸島自体が松島湾の北側の防波堤的な存在となって津波を真っ向から受けたため,私がお世話になった民宿を始めとする室浜の集落は,本日訪れた時,何も残っていなかった・・・。
都合3度程お世話になった民宿のご主人と奥様の安否は知るよしもない。
集落があったところから,少し小高いところに仮設住宅が10数棟建てられていたが,唯々ご無事を願うばかりである・・・。


あれから2年以上経ったが,被災地には少なからぬ爪痕が今尚残る。
お盆休みの最終日,今年はいろいろなことがあって,どこにも子どもを連れて行けなかったので,せめてドライブに海へ・・・という気持ちでスタートした今回の外出だったが,予想通り重いものを感じて帰宅することになった・・・。

画像は本家に貼ってあります。
宜しかったら,ぜひ・・・
   ↓
http://blog.goo.ne.jp/fw14b_2005/e/7a744a6d23108e5f5011303de427208b

アバター
2013/08/21 22:40
詩蘭さん,今晩は。
津波に呑まれた各地には,個人的にも少なからぬ思い出が有り,仰るとおり記憶の断絶は切ないねのがあります・・・。
最後の1枚,平和そのものの海岸が,あの日黒い津波にのみ込まれて,この世の地獄と化したかと思うと,暗澹たる気持ちになります・・・。
被災した方々の心の傷が癒えることは無いでしょうが,その地域の復興がせめてもの供養と思います・・・。
アバター
2013/08/19 14:17
東京の方からでは、テレビやネットを通して見るばかりでしたけれど、
被災現地周辺の方々は、身体とそこに結びついた土地の全体が忘れることはないのでしょうね。
そして、何よりそこから引きはがされた人と建物や生活…その痕跡は復興されてもその底に留まって…。

宮古島も映像では見ましたけれど、以前の楽しい記憶があれば、その断絶は身を削られるようなものと推察されます。
最後の映像、素敵ですね^^ 




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.