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第9雑感・・・①

佐渡裕指揮による「1万人の第9」(の東北会場)を聴いてきた。
3時間を超える(つまり第九の演奏時間の倍)長大なコンサートとなり,いろいろと興味深い内容だった。
詳しいことは,いずれ述べるとして(いつになるやら),第9に関しての私見を述べて,今日のところはお茶を濁したい・・・。


年末忙しくなるのは聖徳太子とベートーヴェンといわれてきた。
尤も聖徳太子の方は福沢諭吉に代わり,私なんかは残念ながらあまり縁があるとは思われないのだが(泣),ベートーヴェンの方は別だ。


そもそも年末に第9を聞く習慣は日本のものであって,音楽の本場たるドイツやウィーンのものではない筈である(と思っていたら,ドイツでも年末に第9をやる習慣が無い訳でもないらしい)。
そんな大衆迎合的なことを私が敢えてする筈はないのだが,どうも第9となると話は別なようだ。


本来ベートーヴェンという作曲家自体が音楽史上極めて複雑な時代に生きた作曲家である。
中学校で習うような音楽史上の分類だと,


1.ルネッサンス期の音楽
2.バロック音楽-バッハ(1685-1750),ヘンデル(1685-1756)
3.古典派-ハイドン(1732-1809),モーツァルト(1756-91),ベートーヴェン(1770-1827)
4.前期ロマン派-シューベルト(1797-1828),ベルリオーズ(1803-69),メンデルスゾーン(1809-47),シューマン(1810-56),ショパン(1810-49)
5.後期ロマン派-ワーグナー(1813-83),ブルックナー(1822-96),ブラームス(1833-97),マーラー(1860-1911),R・シュトラウス(1864-1948)
6.国民楽派-サン=サーンス(1835-1921),チャイコフスキー(1840-93),ドヴォルザーク(1841-1904)


・・・といった分類となるが,ベートーヴェンの活躍した19世紀前半という時代は,既に次世代のロマン主義の作曲家たち(シューベルト,ウェーバー,ベルリオーズ,あとはウィーン・フィルの初代指揮者のニコライとか・・・)が活動を開始しているのである。
例えば,ベートーヴェンはシューベルトと生前かろうじて会い,この若者こそ次代の担い手である,と思ったというエピソードがあるし(尤もシューベルトはベートーヴェンが没した翌年に亡くなってしまったが),近代管弦楽法を著したベルリオーズも既に活動を開始して華やかなオーケストレーションを駆使した楽曲を提供し始めていた。
つまり,19世紀前半はロマン主義の萌芽の時代,と言っても良いと思う。
これは何も音楽史に限ったことではなく,美術史や文学史でも多少の年代のずれはあっても同様のことが起きていたはずである。


では,古典派とロマン派の音楽の決定的な違いは何か。
極端だがずばり言ってしまうと,モーツァルトとベートーヴェンの違いということだと思う。
つまり流麗・典雅と剛直・重厚の違いか,となりそうだが,それではいささか不十分である。
以下の文章でこの二人の偉大な作曲家の決定的違いと古典派・ロマン派の違いを述べてみたい。


以前,モーツァルトとベートーヴェンの髪型の違いで古典派とロマン派を論じたことがあったが,つまりモーツァルトの楽曲は師匠のハイドン同様ウィーンやプラハの王侯貴族からの委嘱で曲をかき,演奏を披露していた。
つまり,貴族の社交場に出入りする訳であるから鬘を被ってひらひらのついた服を着るのである。
それに対して,やはりハイドンを師匠と仰ぎモーツァルトの弟弟子たるベートーヴェンの方は,もうロマン主義の足音がすぐ傍まで近づいてきているために,より主観的・主情的な楽曲をかいたと言える。
蓬髪はベートーヴェンのトレードマークだが,王侯貴族の社交場に出入りするよりも在野を貫いたということだろう。


有名な「田園」の名で呼ばれる第6交響曲。
第1楽章には「田舎に着いた時の愉快な気分」,第2楽章は「小川のほとり」,第三楽章は「人々の祭」,第4楽章は「嵐」,そして異例とも言うべき第5楽章は「嵐のあとの感謝の気持ち」といった副題が付く。
これらは決して風景を描写した標題音楽ではなく,あくまでも古典派の絶対音楽であろうが,もうこうしたところにロマン派に通じる標題性や物語性を見出すことができる。
後にハンガリーの作曲家フランツ・リストが完成した「交響詩」という標題音楽を先取りしたような感もなきにしもあらずである。
また,古典的な構成感と均整のとれた美しさが顕著で,4つの楽章がかっちりとまとまった感のある交響曲に第5楽章を導入したのはおそらくベートーヴェンが最初であろう。
続くのがベルリオーズの「幻想交響曲」であろうから。
また,当時オペラやオラトリオにしか使われていなかったトロンボーンを第5交響曲に導入したり(モーツァルトは絶筆の「レクイエム」に使っている),通常典雅なメヌエットを置く交響曲の舞踊楽章(主に第3楽章)により一層テンポの速いスケルツォ(諧謔曲)を取り入れたり,と後にロマン派の作曲家たちの規範となることを先駆けて実戦しているのもベートーヴェンである。
そういう意味でも,ベートーヴェンを古典派の作曲家と位置づけるのは異存がないが,ロマン主義的書法でかかれた古典的構成感を持つ作曲家,と言うべきなのかもしれない。


尤も,同じ時期にウィーンでハイドンに学んだという共通項のせいか,モーツァルトとベートーヴェンの初期作品は似ている部分がかなりある。
もしかするとこんなことを言っているのは私だけかもしれないが,例えばモーツァルト中期の名作であるピアノ協奏曲ニ短調k.466(第20番)とベートーヴェンの第3ピアノ協奏曲はいずれも終曲のロンドの弾き出しが似ているし,あまり有名ではないのが私のお気に入りのピアノ協奏曲ハ長調k.503(第25番)の第3楽章とピアノソナタ第21番ハ長調(献呈された貴族の名をとって「ヴァルトシュタイン」と呼ばれる)の第1楽章にはそっくりなフレーズが出てくる。
初めて聴いたときは「成る程な」と納得したものである。

(文字数制限で刎ねられたので,次項へ続きます・・・)





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