Nicotto Town


koshiのお部屋分家


第9雑感・・・②

・・・でもってようやく第9である(前振り長すぎ・・・)。
これはもはや完全に古典の様式感を随所に残しながらも,完全に独自の世界観に達したもの,と呼ばざるを得ない。
音のカオスの中から悲劇的緊張と闘争心が湧出するような第1楽章,異例なことにスケルツォを置いた第2楽章(前半の白眉とも言える),後のマーラー(1860-1911)の緩抒楽章を思わせる長大な第3楽章,そして宇宙が鳴動する合唱付きの終曲。
4人の独唱と大合唱が荘厳且つ開放的に「歓びの歌」を歌い上げるが,交響曲への声楽の導入という点ばかりではなく,様式感を無視したようでいて絶妙な構成感を誇る点でも希有の成功作と言えると思う。
また,合唱の導入部の後,「歓びの歌」がテノール独唱によって高らかに歌われるalla marcia(行進曲風に)では,おそらくトルコの軍楽隊の影響であろう打楽器の使用が画期的である。
(尤も,先輩モーツァルトは歌劇「後宮からの逃走」で先んじて使っているが)
おそらく最後に大合唱で締めくくるというアイディアは,おそらくバッハの「マタイ受難
曲」やヘンデルの「メサイア」,ハイドンの「天地創造」といった宗教曲やオラトリオの影響ではないかと予想されるし,ベートーヴェン自身が第9の作曲直前に「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」をかき上げたことも影響していよう。


シラーの「歓喜に寄す」を何故ベートーヴェンが使用するに至ったかは,私が駄弁を弄するよりこちらをお読みいただけると有難いが,18世紀末から19世紀にかけての欧米各国の市民革命(アメリカ独立とフランス革命を端緒とし,ナポレオン政権誕生という反動も含めて)と共和制の誕生と関連していることが実に興味深い。
政治と芸術の結びつきは今は亡き某大国のように時にはよろしからぬことになる場合があるが,歴史を俯瞰していくとやはり少なからぬ影響があるということなのだろう。


・・・ということで,間もなくN響の第9も始まるだろうし,今日は久々に第9でも聴いてみようか・・・。
ベートーヴェンを滅多に自分から聴くことはなくなったが(八重奏曲だけは例外),今からCD棚を漁ってみよう・・・。
第9といえば,何と言っても巨匠ウィルヘルム・フルトヴェングラーが1951年にワーグナー演奏の聖地であるバイロイト祝祭劇場のオケを振ったライブ(こちらも)が有名だが,さすがに私の世代の演奏というわけにはいかない。
やはり1979年に当代随一の独唱者陣を起用し,アメリカの活力とウィーンの伝統の幸福な融合を見せたバーンスタイン指揮ウィーンフィルのライブか,珍しいところでは1963年に日生劇場のこけら落としで演奏されたベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団(昭和末期に突如発売されて以来廃盤のようだ。レンジは狭いが奇跡的にステレオ録音)あたりを聴いてみよう。
80年代以降四半世紀以上に渡って,これらを凌ぐ決定的名盤が無いことも気にはなるが・・・(ディジタル録音だと82年録音のクーベリック指揮バイエルン放送響も素晴らしい。又してもライブか・・・)。


因みに,今まで第9を演奏したことは4度ほどある。
1度は合唱,残り3回はオケであるが,ひとことで言えば「とんでもない代物」というところか・・・。
3回は全曲,1回が終曲のみだったが,オケの場合いずれも出番は終曲のalla marcia以降なので,そこまでコンセントレーションを持続させるのが大変であった。
今日改めてこうして聴いてみると,前半2楽章がブルックナーに聞こえ,長大なAdagioと合唱・独唱と打楽器が追加される終曲はマーラーに聞こえる。
これも,時代を先取りしていたということか・・・。
個人的には,覇気と推進力に充ち満ちたスケルツォ楽章が好みである・・・。
                ↓
http://www.youtube.com/watch?v=W9Qv6uH7mKo

79年,ウィーンシュターツオパーでのライブ。





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