Nicotto Town


koshiのお部屋分家


屋上屋を架す・・・

つい先日もmixiで述べたばかりなので,多少憚られる部分もあるのだが,本日のエントリは,何と言ってもこの曲でなくてはならない・・・。


交響曲第3番へ長調作品90(ブラームス)。
北国の鉛色の曇天の下,力と寂寥感が交錯し,鋼のように強力な構成感が顕著でいながら,このストイックな作曲家特有の抑制とそれをかいくぐるようなロマンティシズムの発揚。
第一楽章冒頭の四度のFdurの和音によるコラールから,既に晩秋の中欧にトリップ。
第二主題は,クラリネットによって典雅な舞曲風に奏でられるが,それもまた激しい曲想に飲み込まれていく・・・。
続く第二楽章は,茜さす夕陽が西の彼方に没する晩秋の野をそぞろ歩きするような趣に溢れた緩抒楽章だが,孤愁の色が濃く,生涯独身だったが女性を愛すことができたというこの作曲家の心中を垣間見るような雰囲気を醸し出す・・・。
第三楽章は,以前も述べたように,イングリッド・バーグマンとイヴ・モンタンが競演した映画「さよならをもう一度」(原作はサガンの「ブラームスはお好き」) に使用され,典雅さと憂愁を湛える。
そして終曲。
全編を覆ってきた古典的な様式感と均整感,典雅な響きと憂愁,そして孤愁と死の影・・・といった要素は,激烈な闘争心とパッションに姿を変え,青白い炎を発して熱く燃え上がる。
やがて,それもFdurの和声の中に埋没するように,静かに前編が結ばれる・・・。
魂の安息なのか,死の影なのか・・・,それは聴き手の感性に委ねられることになろう・・・。


かつてこの曲に関して語ったことは2度程有ったが,既にして10代の後半から,人生の秋を感じさせるようなこの作曲家の作品に夢中になっていったことも,以前述べた。
晩年の作品を敢えて好んだのは,完全に若い日々特有の衒いだったと思うが,後に音楽のみならず,サッカーやF1という欧州産のスポーツに触れるに至って,ラテンではなくゲルマン・・・という好みが分化するに至ったのは,今となってはこの時期の音楽体験が大きかったと想像される。
居間のCD棚に,ブラームスの作品が溢れていることは以前述べたとおりだが,交響曲全集は多分10種を超え,この第3交響曲単品も相当な数がある筈だ・・・(改めて数える気力は無い・・・)。
自らの意志で初めて通して聴いたのは,ケンペ~ミュンヘンフィルによる滋味溢れる佳演だつたが(その10数年前にベルリンフィルを振った演奏も堪らない),今回リンクを貼るのは,バーンスタインがウィーンフィルを指揮した81年のライブである。
ゲルマンフリークの私が新大陸の演奏家を好む筈が無いのだが,何故かバーンスタインだけは例外で,歌い泳ぎ叩き踊るようなマーラーを聴いて以来,すっかり虜となっている。


でもって,何故本日のエントリがこの曲だったかというと,今を去る130年前の1883年12月2日,ウィーンの楽友協会大ホールに於いて,ハンス・リヒター(1843-1916,ウィーンフィルやロンドン響の指揮者を務めた)の指揮にて初演されたからであった。
そして,その100年後。
当時の若者が,なけなしの小遣いから4,200円を投じて,その年に発売が始まったCD(さらに前月に発売されたばかりの上記演奏者のもの)を1枚買った。
勿論,初演100周年を知っていた当時の私に他ならない・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=4L0MqnAoEJM





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