Nicotto Town


koshiのお部屋分家


關西紀行,其之弐:富岳参拾六景・・・

新幹線に乗ると即ビール。
これが私のパターンである。
さすがに県外出張の際は自粛したが,家族出てかける際は,朝だろうが昼だろうがビールを買う。
尤も,朝6時に開店したKioskでビールを買ったのは,私だけだったろうが・・・。
ついでに言ってしまえば,かつては新幹線ホームでしか入手できなかった海鞘の燻製が有った。http://jizakewine.com/food/juuziya.htm
最近は売っていないようで残念だが・・・。
でもって,仙台で買ったヱビス(勿論ロング缶)を福島到着迄に1本空けてしまい,2本目のトリスハイボールをちびりちびり飲りながら,日光連山に見入っていた。
宇都宮には,駅のすぐ南に「サンロイヤル」とかいう格安のビジネスホテルが有って,車窓から見えた筈・・・などと思って,進行方向である南側を見やった瞬間驚いた。


何と,富士山が見えている!!
空気が乾燥する冬季は視界が効くので,今まで何度も東北新幹線から富士山を見ているのだが,それはせいぜい利根川を渡って埼玉県に入ってからだったと思う。
宇都宮から富士山が見える,しかも日光連山と同じ視界に見ることができるというのは,初めてである。
多分,栃木県南部の人たちは知っているのだろうが・・・。
トイレに行くついでに,反対側のドアの窓から(客室窓は殆どブラインドが下りているので,景色は確認できない)確認したところ,筑波山も見えた。
勿論,逆光なので,山容を確認しただけだったが・・・。


新幹線の難点の1つは,常に高架の上を走っているので,橋が分からないことだろう。
この日も,酔っていたせいもあって,板東太郎(筑紫次郎-筑後川,四国三郎-吉野川)の異名を取る利根川渡河が分からなかった。
意外にも知られていないと思うが,東北新幹線も東北本線も茨城県を通過するのである。
小山(栃木県)を出ると,古河市(茨城県)に入り,利根川を渡る。
対岸は栗橋(埼玉県久喜市)である。
古河といえば,15世紀末以降,享徳の乱で鎌倉を追われた鎌倉公方(足利尊氏次子基氏の子孫)の足利成氏が,御所を構えた地である。
これ以降,関東の勢力分布は,関東管領の両上杉家(山内,扇谷)や諸大名を巻き込んで,ぐちゃぐちゃの様相を呈していく。
やがて,内紛と小田原の北条氏の伸張によって,古河公方は勢力をそがれていくのであるが,古河という土地は,平安時代末期より栄えた利根川沿いの広大な下河辺荘を背景に,北に小山氏と宇都宮氏,那須氏,西に岩松氏,東に佐竹氏,そして南に千葉氏と武田氏(上総武田氏)と里見氏といった具合に,北関東の諸大名との連携を図る上で,中核となるに相応しい土地だったのだろう・・・。


大宮に着く頃には,秩父の山稜の背後に大きく富士山が見えるようになっていた。
大宮到着直前,県道2号線からロケットビルhttp://air.ap.teacup.com/tau_neu_clock/78.htmlを見るのが慣例となっているが,何のことはない,ロケット型のビルの通称である。
ストリートビューで確かめたら,1階は不動産屋のようで,上の階には居酒屋もあるらしい。
壁が湾曲しているので,家具を置くのが大変では・・・と,いつも勘繰ってしまう。
秋葉原から移設された鉄道博物館は未見なので,いずれ・・・と思いつつ日が過ぎた・・・。


埼京線の浦和駅とロッテ浦和工場・同浦和球場を過ぎると,あっという間に荒川を渡って,上京となる。
赤羽,十条,王子といった馴染みの深い北区の地名が続き,西側は武蔵野らしい段丘となる。
この辺りを境に,西を山の手,東を下町と言ったのでは・・・と思う。
特に,2月に本郷通りを飛鳥山公園から旧古河庭園迄歩いたので,都内でも親しみのある地域となっている。
・・・と,思っているうちに,新幹線はあっという間に地下鉄となる。
上野開業まで3年,東京駅までの延伸に9年もの年月を要した訳だが,地下駅であったことが最大の原因だろう・・・。
上野から,谷中の墓園を経て,上記北区の街まで,そぞろ歩きをしてみたいのだが,それも果たせぬ夢となりつつある・・・。


東京駅でのトランジットは,10数分。
例によってビールを買うには,十二分な時間だが,2年ぶりのN700系は,ブルーのシートを中心としたアコモデーションが明るくて良いと思う。
最新のE6系やE5系と比べるのは,野暮というものだろう・・・。
考えてみたら,0系,100系,200系,300系(初代のぞみ),400系(初代つばさ)と乗り継いできた新幹線だが,遂に500系だけ縁がなかった。
斬新なフォルムとカラーリングだったと思うが・・・。


定刻に東京発。
4時間ちょいで京都に着くのだから,凄い時代だ。
ま,東北から関西に行く場合,主流は飛行機だが,両空港までの所要時間と待ち時間を考えると,1時間も変わらないのではないかと思う。
高いところが嫌いな私であるから,当然飛行機も苦手であり(と言いつつ,内外32便乗っているが・・・),ゆっくり飲んでいける「鉄」が良いと改めて思う。
以前は,東海道線を普通列車で移動したこともあるが(上下線夜行を含めると,6回程有る),さすがに家族連れではそうもいかない・・・。
新横浜を過ぎるまで,冷えたスーパードライ(当然500ml缶)を空ける。
うっすらと冠雪した丹沢の山塊を見ているうちに,小田原駅を通過し,左手に小田原城をかすめる。
昭和末期の20数年前の夏,大垣までの夜行列車に乗ろうと東京駅に向かう途中で集中豪雨に遭い,小田原以西の列車は運休。
仕方なく東海道線の終電で小田原まで行き,箱根登山鉄道の入り口付近で,新聞紙の上で一夜を過ごしたことを思い出した。
あの時は,名古屋まで普通列車を乗り継ぎ,新快速で大阪まで行って,天王寺から阪和線に乗り換えて,そのひのうちに和歌山まで行った。
若かったからこそできた芸当であった・・・。


(今日も,暴走を重ねて,結局小田原までしか行けませんでした。このペースで書き連ねると,一体いつになったら終わるのでしょう・・・。自分でも見当が付きません・・・。画像は,本家です・・・)
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