軍師官兵衛-第3回「命の使い道」
- カテゴリ:テレビ
- 2014/01/19 20:18:58
播州室津。
神武東征以来の天然の良港として栄え,中世には室津千軒と言われ,大いに賑わいました。
今なお,味わいのある街並みが残り,一度行ってみたいと思いつつ,果たせないでいます・・・。
その室津に,浦上氏が依ったのはいつからだったのでしょうか。
室津城自体は,南北朝時代に,赤松円心入道則村によって築かれたちという伝承がありますが,舟運の要衝である室津に築城というのは,必然だったことでしょう。
播州史に全く通じていない私ですので,このあたりの浦上と赤松の関係,そして山陰道の覇者として美作方面から侵攻してくる尼子勢との関係は,どうだったのか,知りたくなります。
多分,赤松も浦上も,15世紀までの力は無く,龍野城の赤松政秀のように主家からの独立勢力となったり,同族で争って分裂を繰り返して独立をしたりしていたのでしょう。
永禄7(1564)年,浦上清宗と姫路城主小寺職隆の娘の婚礼の日に,赤松政秀に攻められ,当主である父政宗共々斬られたのは史実です。
清宗の室となる筈だった小寺職隆の娘は,同時に斬られたとも,後に清宗弟である誠宗(なりむね)に嫁したとも言われています。
ですから,広峯神社の神官(御主)の娘を,小寺(黒田)の養女として・・・というのは,設定としてはどうかな・・・と,思わざるを得ません。
むしろ職隆の娘(官兵衛の妹)とでもしてしまった方が,自然な気がします。
尤も,そうしてしまうと,官兵衛のお相手はべつのおねいさんを・・・と,なってしまいますけど・・・。
初恋の人だったおたつを失って,失意の官兵衛に,堺での鉄砲買い付けの命が下ります。とごぞやの山中で,浪人の村重と出会って・・・というのは,どんなものでしょう・・・。
村重も,官兵衛以上に前半生は謎でしょうが,摂州池田城主である池田勝正に仕え,この時期は,京畿を制圧していた三好三人衆に寝返っていたと想像されます。
信長や秀吉と同時代人ですから,30歳前後で,風来坊のようなことはしていなかったと思われます・・・。
多分,摂津のあちこちを転戦していたのではないでしょうか・・・。
だったら,鉄砲の買い付けに来ていて,今井宗及のところで官兵衛と邂逅・・・とでもしていた方が,必然性があったのでは・・・と思います。
母里も善助も武芸に秀でていたでしょうに,あれでは何の役にも立っていないということになってしまいます・・・。
4年後に上洛した信長に仕えた訳ですから,やはりこの時期は,主家である池田家を乗っ取ろうとしていたとするのが,正しいような気がします。
信長に仕えて数年で,茨木城主となっていますし・・・。
堺は,当時「東洋のヴェネツィア」と呼ばれ,博多と共に商人の自治によって治められていたという,奇跡のような環濠都市でした。
もし,永禄7年に官兵衛が訪れていたとしたら,鉄砲伝来より約20年を経て,映像通りの賑わいだったことでしょう。
南蛮商人や宣教師たちが歩き,妓楼では葡萄酒が飲まれ,教会ではミサが営まれ・・・というエキゾティックな様相を呈す国際的な都市だったと想像されます。
堺をヴェネツィアのようだと言ったのは,宣教師のガスパル・ヴィレラだったそうですが,それは少し前の弘治年間のことだったようで,多分信長による堺制圧(というか代官を置いた)まで,会合衆による自治と繁栄は続いたのでしょう。
因みに,ヴィレラが東洋のヴェネツィアと呼んだのは,海を控えたロケーションもさながら,執政官(この場合は会合衆)による自治が行われていたことが,共通していたからだと思われます。
残念ながら,私は堺を訪れたことがありません。
堺の街自体は,大坂夏の陣の際に大野治胤(道犬斎)によって焼かれ,その後は幕府の直轄地となって,同様に繁栄したらしいですが,その街域は,南海本線から阪堺電気軌道を経て,国道26号線あたりまでだったのでしょうか・・・。
地図を見ると,水路のような川があり,碁盤の目状になっていますので・・・。
阪堺の宿院駅付近に,千利休の生地があったと記憶してます・・・。
でもって,私が訪れたのは,せいぜい仁徳陵の廻りをバスに乗って走ったぐらいです。
勿論,高いところから俯瞰しないと,前方後円墳の全容は分からないでしょうし,只の林の連続にしか見えませんでした(すごく長かったですが)。
因みに,今の教科書には,仁徳陵とは記載されず,大仙古墳とか堺百舌鳥古墳のように表記されるようです。
伝承なので,確証がないという理由でしょうか・・・。
・・・ということで,またしても余計なことを述べて終わってしまいました・・・(悪癖)。どうも,織田家と半兵衛の描写が甘いと感じるのは,私だけでしょうか・・・。
せめて半兵衛が,龍興を諫めた後に美濃菩提山城に・・・という説明があっても良いと思うのですが・・・。
さっき実家へ行ったら,母が再放送見ていまして,見なくても良い・・・と言って,即TV消していました。
ま,日曜夜が楽しみとなるには至っていないですね・・・。
「う〜ん、ふつう〜」って毎回答えてます。
つまらないわけじゃないけど、夢中にはなれない感じ。