Nicotto Town


koshiのお部屋分家


關西紀行,其之廿弐:三井晩鐘・・・

坂本から,再び京阪に乗る。
今からどうするか思案する。
選択肢は幾つかあった。
このまま,石山寺に行くとか,浜大津で降りて湖畔を歩くとか,京都に戻って早めの夕食にするとか,いろいろと考えられたが,下の子の
「三井寺に行きたい」
というひと言で決まった。
一度行ったところに,時を置かずして・・・という問題はあったが,せっかく行きたいということだったので,決定した。


今度の車両は,何と先程乗ったケーブルカーと同じデザインで,赤の「福号」と黒の「縁号」だった。
二両編成の色違いなので,混合編成に見えるのがご愛敬だ。


三井寺は,2年ぶりなので,記憶も鮮明で,堂々たる風格の総門も,味わい深い三重塔も相変わらずだった。
夕刻近いせいか人もまばらで,今夜からの二年参りに備え,準備に余念無し・・・というところだった。
拝観料はかからないし,これだけの大寺をゆっくりと見ることが出来るのだから,申し分ない。
和歌山にある紀三井寺は,門前をスルーしてしまったので,見てみたいものだ・・・と思いつつ,20数年が過ぎたが・・・。


その後は,浜大津まで行って,せっかくなので湖都の情緒を味わおうと目論んだ。
丁度,琵琶湖汽船の外輪船であるミシガン号が着岸していた。
今から,トワイライトクルーズなのか知らないが,船内外の照明が点いていたので,ちょっとした情趣が感じられ,ついついシャッターを切った。
琵琶湖クルーズは結構な値段だが天気が良ければ乗ってみたいと思う。
芦ノ湖の遊覧船(名前は・・・サスケハナだったか・・・って,それはペリー所縁の下田だったか・・・)には乗ったことがあったが,あれも混まなくて良かった。
とは言え,中で缶ビール飲んだだけだったが・・・。


暮れなずむ大津の浜には,太古から変わらないさざ波が心地よい響きをもたらす。
大津京も,壬申の乱も,粟津の松原での木曽最後も,明智秀満の湖水渡りも,大津城攻防戦も,すべて湖水は見てきたのだろう・・・。
西には,つい先刻まで居た叡山が聳え,遙か湖水を経ての湖東平野には,俵藤太秀郷の百足退治で知られる近江富士三上山が,擂り鉢を伏せたような山容を見せる。
一度,近江八景を全部回ろうか・・・と思ったことがあったが,車が無いと無理であることを悟って断念した。
因みに,近江八景とは,以下の通りである。


石山秋月(いしやまのしゅうげつ)-石山寺
勢多(瀬田)夕照(せたのゆうしょう)-瀬田の唐橋
粟津晴嵐(あわづのせいらん)-粟津の松原
矢橋帰帆(やばせのきはん)-矢橋の港
三井晩鐘(みいのばんしょう)-三井寺
唐崎夜雨(からさきのやう)-唐崎神社
堅田落雁(かただのらくがん)-堅田の満月寺浮御堂
比良暮雪(ひらのぼせつ)-雪化粧の比良山系


漢字とは良くできたもので,こうして読んだだけで,情景まで脳裏に浮かぶ。
三井寺の晩鐘は,何時に鳴るか分からないが,こうしているうちに聞こえたら最高では・・・と,思った。
学生時代,最終の5コマ目の講義が5時20分まであったが,5時になると川向かいにある愛宕神社の晩鐘が響いたものだった。
ま,味わいが・・・というより,あと20分で終わりだ・・・という気持ちが強かったのは,当然だが・・・。


そんなことを思っている間,大津港マリーナと琵琶湖汽船の旅客ターミナル近隣の浜には,全く人影がなかった。
琵琶湖の写真を撮るには,光線が暗すぎたが,静かに湖都の黄昏を迎えるには,程良い環境であった。
今日も1日が,そして2013年が終わる・・・。
そんなことを思いながら,浜大津駅に向かい,幾度となく背後の琵琶湖と叡山を振り返った・・・。
(いよいよ,第3日が終了。翌日の京都水族館と東寺を残すのみとなりました。果たして完結するのでしょうか・・・。そろそろかつたるくなってきたのですが・・・)

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