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軍師官兵衛-第7回「決断の時」

信玄が死んだ・・・というところからスタート。
信玄は,三河で発病し,伊那の番場なるところで陣没する際に,自分の喪を秘するように厳命したとされますが,あっさり分かってしまったということでしょうか・・・。
いよいよ,官兵衛が織田家に・・・というくだりでしたが,仲介したのは村重という設定でしたね。
あの流れであれば,やはりそうなるのが自然なのかも知れません・・・。
実際に,摂津衆である村重と,播磨衆の官兵衛にどの程度の接点があったのか(或いは,全く無かったのか),想像するしか有りませんが,この時期の官兵衛は,小寺家の帰趨を巡って,あちこちを歩き回っていたような気がします。
ですから,織田領にも毛利領にも行っていたのでは・・・と,推測します。


 先日,久方ぶりに「播磨灘物語」を読み返してみましたが,序章では,黒田家が何故近江から備中福岡に移り,さらに御着の小寺家に仕えるに至ったかが,詳しく述べられていました。
そして,永禄年間の官兵衛は,堺や京で南蛮寺に出入りし,洗礼を受けたとしていました。
その際,将軍義昭の側近である細川藤孝や和田惟政と知り合い,それが縁で織田家に・・・という手順のようです。
この時点で,村重は出てきません。


そうそう,始まってすぐ,松寿丸が僧侶と相撲を取っていました。
誰だ・・・と思ったら,恵瓊とは恐れ入りました・・・。
ま,播州は,毛利と織田の接点となる地域だけに,外交僧とも言うべき恵瓊が,探りを入れに・・・というのもあり得ない話ではないと思いますが,だったら真っ先に行くのは,最大勢力である三木城の別所長治のところでしょうし,小寺家の陪臣に過ぎない無名の官兵衛のところへは来ないでしょう。
しかも
「武勇に優れる官兵衛殿」
とか言っていましたが,官兵衛は槍働きが苦手な筈です。
逆に,息子の長政(松寿丸)は,武勇に猛く,そのあたりが官兵衛の気に入らないところだったのかもしれません。
そう言えば,又兵衛も登場しましたね。
村重の登場もそうでしたが,もう伏線が分かりすぎるのが,困ったものです・・・。
困ったもの・・・と言えば,芸州吉田郡山城での毛利家のシーンで,手前に3本の矢が立てかけてありました・・・。
これって,そのような文献資料でもあるのでしょうか・・・(「陰徳太平記」に描写があったとか)。
元就の家訓として,あまりに有名な3本の矢ですが,常にそれを立ててあった・・・という記述が史料にあるならば納得ですが,只の演出だとしたら,わざとらしい通り越していると思います・・・。


それにしても,官兵衛夫人といい,濃姫といい,政治に口を出しすぎではないでしょうか・・・。
秀吉夫人の北政所が,太閤夫人として,建設的な意見を述べて夫を助けたのはよく聞く話ですが,それは足軽(普段は農民)上がりだった秀吉ならではのものでしょう。
少なくても,大名夫人が主人にものを言うなど,あまり考えられませんし,信長は苛烈な男故に,聞く耳など一切持たないのでは・・・とも思います・・・。
叡山や伊勢長島で,女子どもまで皆殺しにした理由を,いちいち奥方に説明するような男ではないと思われます・・・。


秀吉が,小谷城攻略の最前線として横山城に於いての功を認められて,江州長浜の城主となったのは,この時期でしょうが,大名と言えるのかどうか・・・。
城持ちは確かですが,秀吉が最初に城主となったのは,多分墨俣の一夜城だつたと思われます・・・。
それから,当の柴田と丹羽が居る前での改姓は,ちょい違うのでは・・・と。
両将の姓から,一字をとったのは事実でしょうが,部将としての格付けは,柴田が上でしょうから,柴羽となるところでしょうが,逆の羽柴としたのは,柴田と丹羽が一騎打ちしたら,多分勝つのは10以上若い丹羽では・・・ということで,羽柴としたという話も聞いたことがありますが,真相はどうだったのでしょう・・・。
秀吉らしい気の遣い方だと思いますが・・・。


いよいよ,岐阜で官兵衛が信長と対面。
来週は秀吉と会うようですね。
半兵衛との出会いが,楽しみでもあります・・・。
・・・ということで,今回も余計な突っ込みその他で終わってしまいました・・・。

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2014/02/19 23:36
みるるさん,今晩は。
ですよね。
数少ない例外が,北条政子と北政所なのかもしれません。
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2014/02/16 21:42
女の人って昔は決してものを言わないだろうなあっていうのは、すごく納得がいきます。
大河ドラマは時流に流されまくってますねえ。




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