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關西紀行-其之壱「乗り鉄」・・・

大和は国のまほろば・・・。
「古事記」にある大和武尊の言葉である。
東征の帰途,伊吹山で病を得た日本武尊は,大和を前にした鈴鹿峠で力尽き,その魂魄は白鳥に身を変え,西へ,大和の方角へと飛び去ったという。
その大和を訪れるのは,昨年以来通算10回目となるわけだが(高校の修学旅行が最初で,職場の旅行と出張も含む),泊まるとなると,丁度20年前に出張で訪れて以来となる。
特に,我が国の古代律令制国家が始まった地を見せておきたい・・・という意図での計画であったが,その目的は十分果たせた反面,大和朝廷の中央支配から聖徳太子と蘇我氏の時代を経て,古代律令制国家の成立という我が国の一大エポックに対して,私以外がなかなか関心を高めてくれなかったという残念な面も残ってしまった・・・。
ま,これも毎度のことではあるのだが・・・。
・・・ということで,帰郷後一週間を経た本日より,記録を留めておきたいと思い,こうしてキーを叩いている。
昨年同時期の關西行をまとめた文章は,完全に私の意識が暴走し,客観性が犠牲となった結果,紀行文とは大きく乖離したものが残ってしまったが,今回は果たしてどうなるだろう・・・。
・・・というより,果たして続けることができるのだろうか・・・。
最近,若くないせいかとにかく持続力や集中力が著しく減退し,物事が長続きしなくなる傾向にある故・・・。
ま,とにかく始めてみよう・・・。


今年もあと3日という12月29日(月),朝4時半に起きて,慌ただしく朝食を済ませ,5時41分発というローカル線の始発に乗る。
勿論夜は明けていないし,雪もちらついていた。
ここ一週間で,数回も列車の運休や遅れが出るというローカル線だけに,メール登録しているアラート情報が気になったが,この日に限ってそれが無かったのは幸運であった。
何せ動物(熊や猿,羚羊)で止まり,落ち葉で止まり,雪で停電し(8時間缶詰),強風で止まるという極めて脆弱な路線だけに,ひやひやもんだった・・・。

敢えて始発を外して,新しいE5系新幹線への乗り換えは20分程の余裕があったので,ビールとハイボール,さらに酒肴を買い(早朝から酒買って飲んでるのは私だけだった),連結されている最新のE6系(所謂赤いこまち)の車内を見て,E5系最後尾のグランクラスを見学しているとき,小さな問題が起こった。
写真を撮るなと言われ,外から見るように年配の乗務員に言われたので,そそくさとだれも居ないグランクラスを後にした。
ま,私のような庶民にとって,最上級のグランクラスなど夢のまた夢なのでもっと見たかったが致し方ない・・・。

仙台を定刻に発車。
あっという間に仙台平野を縦断し,蔵王も見えぬまま雪の白石盆地を抜け,信夫盆地へ入る。
福島は,辺り一面の雪である。
時折吹雪くようで吾妻は見えず,安達ヶ原に入っても安達太良は見えず,安積盆地も雪だった。
福島県南部から栃木県に入ると,雪は止んだが当然那須の連山は見えない。
天気が良いと,宇都宮が近づくにつれて日光連山が見えるし,去年なんか小山の手前から富士山が(反対側の車窓からは,逆行の筑波山が)見えたのだが・・・。
こんな天気の悪い上京は,一体いつ以来だろう・・・。
このやまびこは,いつも宇都宮から混み出す。
所謂通勤新幹線というやつだろうが,今回は帰省客で満員になったと考えられる。
大宮が近づくにつれ,周囲の風景は田園の中に散財する近郊型住宅地から,無機的なビル街へと変わっていくのであるが,それも悪くないと思う。
私のような典型的な東北人にとって,都会に来たと思える瞬間であり,初めて東北本線を南下した中学校の修学旅行(東北新幹線開通以前)以来,何となく心ときめくものを感じてきた。
そういえば,かつて在来線を南下した際は,電車の電源が切り替わる黒磯駅で,115系等の直流型電車を見たときは,都会に来たことを痛感したものだった。
濃緑色と橙のツートンカラーの所謂湘南カラーの直流型電車は,私にとって都会の象徴であった・・・。
大宮では,子どもにかのロケットビルを探させた。
遠目にもよく見えるので,すぐ分かる。
中には,居酒屋とカラオケ屋が有るらしいが,湾曲した壁に置く家具を置くのが大変だろう・・・。
ロッテの浦和球場が見えると,すぐに荒川を渡り上京となる。
西の方に高島平の巨大団地群が見えたと思うと,すぐに山の手方向は上野や谷中から続く丘陵地帯となる。
対する東側が所謂下町となり,隅田川畔の浅草辺りがその端となるのだろう・・・。
桜の名所である飛鳥山を過ぎ,谷中から続く墓園や寺域を見て,鶯谷駅を通過すると,新幹線は地下へと滑り込んでいく。
考えてみたら,82年の開業時,東北新幹線は大宮-盛岡間のみであった。
東京-大宮間は,新幹線リレー号と称して,前年から伊東線で特急踊り子号として使用されていた185系電車を転用して使っていた。
上野まで延伸するのに3年を要し,東京駅まで開通したのは,そこからさらに6年後のことだったと記憶している。
次代の徒花とも言うべき新幹線リレー号は,9年でその役目を終えた。
九州新幹線のリレーつばめ(博多-新八代間。私の好きな787系)が,7年もの命脈を保ったのと同じだ。


東京駅では約20分で,N700系のぞみにトランジット。
この辺りから,前夜の睡眠不足が露呈し始め,酒を飲む気力すら無くなってきた。
何せ,旅行の準備をして,子どもを寝かしつけた後,一杯やりながら全日本フィギュア女子FSを見てしまったので,睡眠時間は3時間半。
朝っぱらから飲ったヱビスビールと角ハイボールの酔いもあって,曇天で山稜しか確認できない丹沢や足柄を遠目に見つつ,完全に意識が朦朧としてきた・・・。


・・・ということで,今回も初回から大暴走です。
關西行の筈なのに,まだ神奈川県までしか至っておりません。
天気が悪い東北新幹線と,半分寝ていた東海道新幹線なので,一切カットして京都到着から始めようと思ったのですが,書いているうちについつい鉄根多に走ってしまい,一体いつ關西に入るのか,全く見当がつきません・・・。
さらに次回は,東海道沿線根多が有るし・・・。
果たして明日はどうなるのでしょう・・・。
それより,早くmixiと顔本に画像をうpしないと・・・。

因みに,こちらも開店休業中の本家には,画像入りで載せています。
・・・と言っても,今回は僅かですけど・・・。

http://blog.goo.ne.jp/fw14b_2005/e/ef92b549148276c882867cc73c6a6fda

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2015/01/08 19:31
サモワール卿,今晩は。
いえ,グランクラスには誰もいなかったんですよ(居たら写真撮りません)。
ま,金払っていないから入るなということなのでしょうが,乗り鉄・撮り鉄はJR職員の天敵のようです。
僅か2時間足らずの旅程でグランクラスというのは,どう考えても割が合わんですね。
仰るように,東京から新函館までなら乗ってみても良いかもしれませんが,仙台-東京じゃ割りが悪すぎます・・・。
35年前の時刻表・・・!!
かつて持っていましたが,処分したなぁ・・・。
最初に買ったのが,山陽新幹線博多延伸の時だったですけど,今見たら凄いでしょうね・・・。
L特急全盛ですが,我が街からだと急行は,上野行き「まつしま」「いわて」「あづま」「ときわ」「もりおか」,青森行き「くりこま」,白河-盛岡の「あぶくま」,仙台-山形の「仙山」(以上455,457系),仙台-新潟の「あがの」(磐越西線経由),「あさひ」(仙山・米坂・白新線経由),仙台-青森の「千秋」(陸東・奥羽線経由)と併結の仙台-羽後本荘の「もがみ」(新庄で切り離して,陸西,羽越線経由),仙台-鼠ヶ関(仙山,奥羽,陸西,羽越線経由)の「月山」,その他「陸中」,「田沢」,「むろね」(以上キハ28&58系)・・・と,思いつくだけでもこれだけあります。
まさに百花繚乱・・・。
周遊券での旅行がリーズナブルな良き時代でした・・・。
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2015/01/08 02:08
グランクラス…^^;
写真も撮っちゃいけないなんて…、まあ乗客のプライバシーとかもあるでしょうしねえ。トワイライトや北斗星では見学に来る他の客に応じるスイートやロイヤルの客の話も聞くのですが、個室とシートじゃ違いますもんねえ。
北海道延伸後なら何とか乗ってみたいかな。
個人的趣味として、乗車時間が短い列車の上級席って"もったいない"イメージがあるんですよw どうせ良い席なら長く乗っていたいじゃないですか。
かつてどうしても食堂車で昼食をとりたくてグランドひかり、しかもグリーン席まで取ったのに、食堂は満席。ここで待ってちゃせっかく取ったグリーン席代がもったいない!と泣く泣く食堂をあきらめた苦い経験が元になっています(T_T)しかも未だに日本の列車の食堂車は経験皆無です。せめていつか、近鉄特急しまかぜのカフェには乗りたい…と夢想しています。

昨年、知人から35年前の時刻表を頂きました。いやはや、凄い。
東北新幹線開通前だから、上野口の特急は華やかこの上ない。全国の長距離特急列車には食堂車がかなりの確率で連結されていますし、しかも急行列車も百花繚乱。現代との違いを感じずには居られませんでした。




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