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關西紀行-其之弐「石橋山古戦録」・・・

昨日は,予想通り暴走してしまいました・・・(滝汗)。
でもって,早いところ關西まで辿り着きたいのですが,今日も根多が控えております(迷惑!!)。
なので,果たして如何なることになるのか,全く見当が付きません。
もし,またしても暴走するようでしたら,しょーもねーなーと,広い心で看過していただけると有難いです・・・。


小田原駅を過ぎると,信玄も謙信も攻め倦んだ小田原城を掠め,新幹線は石橋山山中に突入する。
治承4(1180)年8月の石橋山合戦の地だ。
伊豆国韮山郷に挙兵した頼朝軍は,国府の三島を押さえ,相模へ東進するが,大庭三郎景親の率いる大軍と,東伊豆から北上する伊東入道祐親軍に挟撃される形となり,一杯地に塗れた。
はっきり言って,この沿線は新幹線より東海道線の方が圧倒的に景色が良く,真鶴岬までの絶景を楽しむことができるし,西湘バイパスからR35なんか絶景と思うのだが,新幹線ではそれもままならない。
したがって,後は自分勝手な追想と感情移入しかない・・・。


小田原を過ぎて,最初に渡るのが早川であるが,この地で逝った若者について,歴史は多くを語らない・・・。
上述の石橋山合戦の時のことだ。
彼の名は,北条三郎宗時。
鎌倉幕府初代執権北条三郎時政は彼の父であり,第二代執権江間小四郎義時は彼の弟,そして頼朝夫人政子は彼の妹にあたる。


そもそも頼朝軍にとって,石橋山の誤算は降り続く雨にあった。
酒匂川が氾濫し,大軍を擁した相模の三浦一族が東岸に足止めを喰ったからである。
敗色が濃厚になった頃,頼朝は腹心の一人とも言うべき宗時を呼び,三浦への伝令を命ずる。
石橋山を下り,早川口へ向かった宗時だが,運の悪いことに平氏方の伊豆東部の豪族伊東祐親軍と遭遇してしまう。
壮絶な斬り合いの果てに宗時主従は全滅する。
まだ十代の少年である弟に将来を託して・・。


頼朝の挙兵は,高倉宮以仁王の綸旨を掲げたものだが,焚きつけたのは伊豆・相模を中心とする板東の武者たちだ。
土肥次郎実平,狩野介茂光(石橋山で自害),三浦介義澄,加藤次郎景廉,佐々木太郎宗綱を頭とする佐々木四兄弟(末弟の四郎高綱が宇治川の先陣争いで有名)等々,保元・平治の戦いにも参戦した古強者(敵対した大庭景親は,平治の戦いでは,頼朝父義朝に従っていた・兄の大庭平太景能は頼朝に与力した)から若い世代までが,世捨て人同然の頼朝に板東の独立と,知行国制の廃止を勧めたであろうことは想像に難くない。
その中でも,頼朝の義兄とも言うべき宗時は,平治の合戦を知らない第二世代を代表する存在だったと考えられる・・・。
その嫡男を失った北条時政の苦衷は,察するにあまりある・・・。


・・・などということを,寝ぼけ眼で考えていた・・・。
周知の通り,頼朝は石橋山山中に難を逃れ,真鶴岬から小舟を駆って相模湾を横切り,安房まで逃げ延び,やがて再起に成功して大軍と共に鎌倉に入って兵士と戦う体制を整えるのであるが,それを案内したのは,現在の東海道本線湯河原駅周辺を本拠地とした土肥次郎実平であったことは間違い無かろう。
石橋山山中は,何と言っても地の利のある実平にとって庭のようなものだったことだろう。そして,その実平の後を継いだ小太郎遠平は,早川荘に住したことから早川小太郎を称し,その子孫は代々小早川氏を名乗った(早川小太郎の子だから小早川・・・ということなのだろう・・・)。
安芸国沼田(ぬた)荘,竹原荘を領有して,戦国期に毛利氏に併呑された小早川氏の先祖は,平治合戦以来の歴戦の武者,土肥実平だったのである・・・。
そして,さらに余計なことを言うと,小早川氏を併呑した毛利氏は,実平と同じく鎌倉幕府創設期の官僚(政所別当)だった大江広元の四男である季光から起こった。
季光が,相模国愛甲郡毛利(もり)荘(現厚木市)を父から相伝したことから,子孫は毛利氏を称し,安芸国吉田荘(現安芸高田市)を領有し(地頭職か?)戦国時代へ至る。
厚木市の地図を繙いてみると,厚木市立毛利台小学校,南毛利小学校,森の里小学校・中学校,森の里団地,毛利台団地等に,その面影をかすかに見て取ることができる。
その北東に,毛利青果店なるものがあるが,関係があるのかもしれない・・・。
中国地方の戦国大名は,関東がルーツだった。
これもまた歴史の妙というか,守護領国制の生んだ必然といえるのだろうか・・・。
大江氏の先祖は,平城天皇まで遡ると言われる。
百人一首にも歌が有る大江匡房もその系統である。
板東の御家人が他国へ分布した例は,我が県でも千葉氏(平姓)の一族である国分氏や,伊沢氏(藤姓)を祖とする留守氏等が挙げられる。
調べてみると幾らでも出て来る・・・。


・・・と,書いたところで,ほぼワープロ2ページを超えました。
予想通り,否予想以上の暴走です。
おまけに,神奈川県西部から一歩も西上していないし,画像も無いという・・・。
一体完結するのか・・・というか,上洛できるのでしょうか・・・。
・・・ということで,明日続きを書くことができると良いのですが・・・。





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