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koshiのお部屋分家


關西紀行-其之参「東海・中京暴走の記」・・・

昨日は飲んで帰宅したので,予想通り書くことができずに轟沈してしまいました。
今日の分は,今のところ濃厚根多が無いので,すんなり行くと思われますが,いつ何時暴走が始まるか,全く見当が付きません・・・。
取り敢えず,早いところ東海道中を終えて,奈良街道に入らないと・・・。


湯河原温泉を一瞥して,熱海温泉をその1.5倍程かすめて,新丹那トンネルに入ると,新幹線の車窓は,当然のことながら全く何も見えなくなる。
トンネルを出ると三島~沼津という文豪井上靖所縁の地となるし,南には伊豆半島が伸びているのだが,眠気と酔いで完全に意識がもうろうとしていた。
どうせ富士山見えないし,車窓の風景も冴えないので,富士川を渡河した段階で目をつぶり,意識を失う・・・。
静岡を過ぎて安倍川を渡るときも気がついたが,大井川と天竜川は,全く気がつかなかった。
目が覚めたのは,その天竜川を渡った直後だと思う。
天気もかなり回復してきたので,浜名湖でも愛でるか・・・と思ったからでもある。
一瞬川か・・・と思うと,眼下にすぐ東海道線の弁天島駅が見えて,次の瞬間視界が開けて湖面がはっきり分かる。
そして競艇場が見えると,すぐに東海道線新居町駅が見えて,一瞬のうちに浜名湖は,背後に飛んでいく・・・。
古代の人々は,琵琶湖を近い海-近江(おうみ)とし,この浜名湖を遠い海-遠江(とおとうみ)とした。
遠い海の東は駿河であり,さらに東には殆どの者が見知らぬ東国が広がっていた訳である
から,当時(7世紀後半?)の人々の地理感は,せいぜいこの辺りまでであったと想像される。
現在の静岡市郊外で草薙の剣を手に入れ,走水の海(東京湾)を渡った日本武尊の話が載っている「古事記」が書かれたのは,もっと後の8世紀のことだ・・・。
草薙の剣・・・と言えば,静岡市郊外に草薙球場(正しくは,静岡県草薙総合運動場硬式野球場)があって,巨人戦が行われたり,パリーグの東西対抗戦が行われたりしたと記憶しているが,戦前に沢村栄治がベーブ・ルースを三振に仕留めたのもこの球場である。
因みに,我が楽天イーグルスは,必ずオープン戦を1試合,ここで行ってきた。
今年は,どういう日程なのか分からないが・・・。


遠州から参州へ入り,かつて吉田といった豊橋を過ぎると,三河湾がぐっと近くなる。
この辺りは,中世において鎌倉期は足利氏が守護を務めたので,その氏族が多く輩出した。現在も地名を残す吉良(忠臣蔵のあの人の一族)を筆頭に,細川(岡崎市),今川(西尾市),仁木(岡崎市)といった具合である。
そして,室町時代には,西三河の丘陵地帯より松平氏が興った。
やがて岡崎城を本拠として,三河湾沿いの幡豆郡に進出し,戦国大名として成長していく訳だが,周知の通り尾張の織田氏,そして駿河から遠江の今川氏に挟まれ,苦しい思いをし,ようやく桶狭間の戦いの後に父祖以来の岡崎城を手にしたのが松平元康-即ち,徳川家康である。
家康が源氏を称したのはこの時期からと思われる。
しかも,足利氏ではなく先祖を同一とする(源義家の次子義国)新田氏を称した。
義国の長子義重は,上野国(現群馬県)の渡良瀬川と利根川の間の広大な笠懸野を開墾し,郡名である新田荘司を称したが,その弟義季(よしすえ)は徳川郷(現太田市徳川町)を領し得河四郎を称した。
その子孫に連なる伝説的な系図を家康は作り上げたのである。
あくまでも私考に過ぎないが,西三河は足利氏の基盤であったが故に,家康は敢えてライバルたる新田氏を称したのではないかと思われる・・・。


・・・そんなあらぬ事を思っているうちに,久々の,そして新横浜と共に京都までの数少ない停車駅である名古屋へ滑り込む。
ここ数年の名古屋駅前は,トヨタの本社ビルができて,これまでにない活気を示しているという。
そういえば,ここ数年のうちに,中京工業地帯の工業生産額が,京浜工業地帯のそれを圧倒的に上回るという事態も起きている。
3年前,鈴鹿サーキットへ向かう際に,名古屋湾沿いをバスで走る機会を得たが,灰色の無機的な工業地帯が延々と続いていた。
もはや東京に一極集中の時代は終わりを告げた・・・ということだろうか・・・。


名古屋でようやく天気が回復し,日が差し始めた。
そうした中で,昨年3月にも確認した清洲城の天守を見つけたが(名誉城主は織田信成くんだそうだ),五条川を挟んで北側の清洲公園が本来の城趾となる(地図上の表記は,清洲古城跡)。
現在の天守は,当時を想像した模擬天守であり,位置も異なっている。
東海道線と新幹線によって分断されたということも有るだろうが,こういうのって果たしてどうなのか,極めて疑問である。
京都の桃山城も,秀吉とは何の関係もない観光城だし,せっかくの信長の出世城をもっと正しく再現できなかったものだろうか・・・。
ま,名古屋城だって戦後のRC造りだろうけど,我が県の白石城のように当時の姿を克明に再現という意図で,工法も当時に倣ったという例もあるのだから・・・。


尾張から美濃へ向かう際に,濃尾平野の3河川(木曽川,長良川,揖斐川)を渡るのだが,ぼうっと見ていた。
長良川を遡ると,金華山頂の岐阜城のすぐ下に至り,沿岸は長良川温泉となっていた筈だが,岐阜の街自体,20代の頃からすっかりご無沙汰である。
斎藤道三や信長所縁の常在寺や山裾の伊奈波明神なんて,良い雰囲気であったことが思い出される。
私のような男にとって(謎),岐阜と言えばJR駅の南側一帯が有名なのだが,入ったことは勿論,行ったことすら無い・・・。
ま,先程ストリートビューで見ては来たのだが・・・(笑)。



・・・と,怪しげな内容となったところで,根多が無かったにもかかわらず,またしても画像なしで暴走しちゃいました・・・。
殆ど病気の域ですね・・・。
ようやく岐阜で,明日は関ヶ原を抜けて江州へと向かうことになります・・・。
関ヶ原で大暴走・・・とはならないことを断言しますが,果たして如何なることになるでしょう・・・。





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