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關西紀行-其之八「春日大社から若草山へ」・・・

春日大社の表参道が,奈良市内で最も賑やかな通りである三条通であることを,今地図を見て,改めて知った。
興福寺東の猿沢の池からJR駅まで歩いたことがあるが,国立博物館の東側から一の鳥居にかけては未踏なので,次回は敢えてバスではなく徒歩で訪れたいと思った。
春日大社-勿論我が町にもある春日神社の総本社であり,藤原氏の神社としても知られている。
伝承によると,和銅3(710)年に平城京遷都と同時に大宝律令編者として知られる藤原不比等(鎌足の子)が氏神である鹿島神を御蓋山(みかさやま=三笠山=春日山)に勧請したのが始めとされているようだが,社伝では,768(神護景雲2)年に藤原永手が鹿島の武甕槌命,香取の経津主命,そして枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せて祀ったのが最初という。
御祭神が複数というのが,如何にも日本的だと思うのは私だけだろうか。
考えてみたら,キリスト教も回教も一神教であり,天主という点では同一神だと思う。
それに対し,我が国はまさに八百万(やおよろず)の国である。
そういう意味では,かつて某首相の神の国発言はある意味正しいと言っても良いかもしれない。
左翼がぼろくそ言っていたが,我が国の信仰は,確かに森羅万象八百万の神々が対象である・・・。
そうした点では,ゼウスを頂点としながらも光陽神アポローンや海神ポセイドン等,オリュンポス十二神で構成された古代ギリシャと共通項があるのかも知れない・・・。


古色蒼然たる石灯籠が並ぶ参道は圧巻だと思う。
無宗教・無信仰を標榜する私を筆頭とする誰もが,その荘厳な宗教的雰囲気に圧倒されるのではないかと思う。
寺社巡りの魅力の1つは,氏神などの縁起や歴史的沿革もさながら,こうした宗教的荘厳さを味わうことにあると思う。
高校時代,修学旅行の行き先は関西と北海道の二箇所からの選択となっていて,東日本から一歩も出たことのなかった私は,一もニもなく関西に決めたのだが,よく友人から
「寺ばかり見て面白いのか」
とか,
「寺より湖の方が絶対良い」
とか言われたものである。
ま,当時は京都と奈良は日本人として是非見ておくべき(鎌倉は,同年春に訪れた),と思っていたので迷わなかった訳だが,この思いは今も変わらない。
そして,今も寺域やご神域は心が落ち着くので,自らその環境に身を置く機会が増えている。
そうした意味でも,確かに寺社とはパワースポットであるのかも知れない。
人知やテクノロジーを超えた超自然的なものの存在を是とするか非とするかは,人によるだろうしTPOにもよると思うが,信仰や信心の有無と宗教的荘厳さの魅力は背中合わせなのかも知れない・・・。


確か3年前に訪れた際,春日大社の社殿は工事中であり,残念な思いをしたものだが(これは6年前の銀閣,3年前の石山寺多宝塔も同様),今回は朱塗りで鮮やかな色彩の社殿を堪能することができた・・・。
前後するが,本殿のずっと下にある手水(ちょうず)は,竜吐水ではなく何と鹿であることが春日大社らしい。
鹿吐水(ろくどすい)とは言わないだろうけど・・・。


そして,次なる目的地である若草山へ向かう際に,境内に勧請された水口神社から川の流れる谷へ下りるのであるが,この辺りの風景も気に入っている。
学生時代,講義の1つとして関西の博物館や寺社を巡った際に,この辺りで友達と楽しくだべった記憶が今でも鮮明に残っており,懐かしいと同時に地図を見て歩く習慣の無かったことを大いに悔いた。
今でこそ,携帯があるので未知の地は地図を見ながら訪れることができるのであるが,かつては二万五千分の一の地形図や土地利用図を地図店に買いに行くのも楽しみの1つであり,飽くことなくそれを眺めて地形までも頭に入れたものだった。
旅行ガイドブックの地図には無い精細さがお気に入りで,当時買った地図の8割は,今も本棚の一郭に残っている・・・。
水口神社の下には茅葺きの古民家が・・・と思ったら,水口茶屋なる茶店兼土産物屋だった。
谷へ下りて,両側に古くからの旅館や土産物屋が軒を連ねる石段を登ると,若草山の麓に出る。
勿論,冬季は入山できないのだが,なだらかな斜面には芝が生い茂る。
良い季節になったら,文字通り若草が萌え出ずることだろう。


小学校5年の時,日本の歴史図鑑(小学館刊)なるものを買ってもらった。
カラー写真など殆ど無く,全編が挿絵で構成されたものだったが,それが滅法楽しく夏休み中食い入るように読んだ。
言うなれば,それが私のこうした無駄な知識の源となっているのであるが,奈良時代の項に2ページ見開きで当時の若草山の様子が載っていた。
全面萌葱色の芝の上に大陸風の服装の親子が楽しげに遊び,御神鹿も一緒に描かれていたと記憶している。
何とも大らかなその雰囲気が,私のこの時代へのイメージを固着させるに至ったことは言うまでもない。
近年,こうした奈良の寺社を好むようになった背景というか源流は,この2ページに亘る絵であったことは間違い無い・・・。
天平の昔と平城の都を偲ぶポイントは幾つもあるだろうが,私にとってはやはりこの若草山麓がその1つである。


この若草山麓の風景もなかなか良いと思う。
山麓には大和鍛冶の老舗が2軒と,土産物屋や旅館が建ち並び,ちょっとした門前町の情緒を醸成しているのであるが,その大和鍛冶の2軒(菊一文字包永と三條小鍛治宗近)については昨年述べた。
今気付いたが,謡曲「小鍛治」にも詠われた後者は,京都ではなく奈良の三條通りにあったということなのだろう・・・。


・・・ということで,今日も2ページ強書き殴りました。
この手の文章なら幾らでも書けそうです(迷惑!!)。
あと1回で,この日が終わるかどうか・・・。


本家には,画像入りで公開です・・・。
http://blog.goo.ne.jp/fw14b_2005/e/f956024b2593f86e7063450c1cc90b36





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