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關西紀行-其之拾「大和縦断・・・」

近年は聖徳太子の存在すら疑われているし,蘇我馬子の墓とされている石舞台古墳も教科書に記載か無かったり,私が仁徳天皇陵と習った堺市百舌鳥古墳群は,大仙古墳と明記される(というか,御陵は宮内庁が管轄のせいか,正確さに欠けるという指摘なのかどうか,○△天皇陵とは明記されないようになったようだ)。
つまり,古代史-それも大和朝廷の統一と3~4世紀頃の巨大化した古墳の時代を経て,飛鳥に政権があったと思われる6世紀末から7世紀までの時代は,古代律令制国家の骨子が形成された重要な時代であるはずだが,分かっていないことも多く,今なお謎が多い時代ということもできる。
しかし,我が国が海外に認められて,初めて国家の体を成したのは,やはりこの飛鳥に政権があった時代と思う。
故に,飛鳥は我が国発祥の地と断じても良いと思う。


しかし,歴史の時代区分は,ここ30年ぐらいで大きく変化したと思う。
青森の三内丸山遺跡発掘以降,教科書から縄文時代の文言が消え,大和時代とか飛鳥時代という区分もなく,古墳時代で一括されるようだ。
あんな面白い出来事が連発した南北朝時代も小学校では学習せず,楠木正成は勿論,後醍醐天皇や足利尊氏も登場しない(戦前戦中の皇国史観への反動なのか・・・。だとしたら,とんだ勘違いだ)。
通史も習わないので,何だかなぁ・・・という感じだ・・・。
やはり大和朝廷の巨大古墳の時代~飛鳥に朝廷があった時代~平城京に都が有った時代・・・という分け方が至って自然な気がするが・・・。


いずれにしても,我が国が興った地を見せておくことも無意味ではあるまい・・・ということで,飛鳥行きを敢行した。
個人的には,4度目である。
最初は学生時代の実習で飛鳥資料館を見た時(石舞台はバス車窓から),次いで職場の旅行で高松塚古墳記念館と石舞台を見たとき,そして20年前に奈良出張の帰途,自力で自転車を漕いで,飛鳥板葺宮と甘樫の丘に行った時だ。
残念ながらこれらの記憶は殆ど無く(当時の飛鳥資料館が,えらく近代的に見えたことぐらい・・・),ほぼ初めて行くに等しいと言え,予備知識も殆ど無く,自転車は子どもに酷なので,バスで回ろうと考えていたくらいである。
前夜,JR奈良駅に隣接するホテルで,3時間ほど疲れのためにのびてしまい,ようやく深夜にかけて電車の時刻などを確認したのだが,完全に行き当たりばったりであった。
勿論,1人で行くならそれで良いのだが,家族で・・・となるとそうも行かず,とにかく飛鳥駅から循環バスで高松塚古墳と石舞台へ行くことにした。 
そのための乗り放題切符を飛鳥駅前の飛鳥総合案内所で求めようと考えた。
飛鳥の入り口は,橿原神宮駅と飛鳥駅だが,史跡や古墳等の見学物件は圧倒的に飛鳥駅からの方が多いと踏んでのことであった。
そして,それが以前と同じく大きな過ちであり,咄嗟の判断が明暗を分け,瓢箪から駒が出ることにもなるのだが・・・。
ま,それについては,おいおい語っていくことになるだろう・・・。

7時台に朝食を終えた筈が,部屋で旅装を整えてぼうっとしているうちに9時近くになってしまったので,急いでホテルを出る。
高架の下をくぐり,JR奈良駅の2階にすぐ出られるので,JR利用者には極めて便利なホテルだ。
但し,近鉄駅には1キロちょっと有るので,朝は気力と体力があるうちに三条通経由で歩くことにした。
普段,煎餅布団を畳の上に敷いて寝ている身としては,どうもベッドというものは寝づらく,熟睡感が無い。
眠い目をこすりつつ,奈良の繁華街の1つである三条通を東へ向かう。
この道は,興福寺の南にある猿沢の池の北岸を通り,春日大社の参道となることは前述の通りである。
面白い通りだ。
全国チェーンの居酒屋があったり,奈良漬けの老舗があったり,ファーストフードが庇を連ねていたり,藤田観光グループのホテルが2軒あったりして飽きさせない。
そして,沿線には開化天皇陵や浄教寺なる古刹があったりもする。
開化天皇陵は,バス通りからも近いが,当然見ることはできない。
応神-仁徳帝以前の天皇であり(日本武尊よりも前),完全に伝承の域だが,地図で見ると前方後円墳のようだ。
安らぎの道と呼ばれる繁華街を左折-つまり北へ曲がる。
適度な賑わいが心地よい。
かつて学生時代,この道沿いにある(三条通との交差点より南)旅館に泊まり,近所に飲みに出掛けたが,それがこの辺りだったのだろう・・・。
全く記憶がないのが残念なのだが・・・。


そこから近鉄奈良駅はすぐだった。
そして,とにかく居た電車(難波行き急行8000系)に飛び乗ったのだが,基本的に近鉄奈良線は難波行きが殆どであり,京都行きは極小で,橿原神宮前行きや吉野行きは無いと踏んだ。
つまり大和西大寺で乗り換えとなるわけである。
広大な平城宮跡を横切って着いた大和西大寺で橿原神宮行きに乗り換える。
この路線は,6年前に西ノ京から薬師寺を見て大和郡山でJRに乗り換えて法隆寺に行く際に乗り,4年前には同じく西ノ京から唐招提寺へ行き,一駅あるいて尼ヶ辻から奈良へ戻る際に乗って以来である。
この辺りから,大和盆地特有の溜め池が見え始める。
地図を見ると,大和郡山駅の南側は,溜め池がもの凄く多い。
金魚の町ならではである。
郡山城の石垣と櫓をちらりと見たとき,上の子に
「大和郡山城主を2人挙げよ」
と聞いてみた。
羽柴秀長と増田長盛と出れば良かったのだが,
「筒井順慶」
と来おった。
確かにそうだが,水野勝成とか言えば,よく知ってるなとなったのに・・・。


・・・ということで,飛鳥はおろか大和盆地縦断の途中で終わってしまいました。
次回は,飛鳥に着くとは思いますが,果たして書けるかどうか・・・。

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