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關西紀行-其之壱拾四「遷都之話・・・」

高松塚~亀石~橘寺~石舞台~川原寺跡~板葺宮跡と,ハイペースで(それでいて各見学箇所では十分時間を取って)進んできた飛鳥の旅も中盤を迎える。
次なる目的地は,酒船石である。
こればかりは,画像を見ていただかないと分からないのであるが,とにかく誰が何のために石を加工したのか謎である。
文字通り酒造に使ったのか,灌漑用なのか,庭園の施設の1つなのか不明のままらしい。そして,その酒船石は,竹林の中を登った小高い丘の途中に位置するのであるが,何とつい最近(私にとって80年代以降は最近である)の2000年,その麓に砂岩でできた湧水設備と,それに続く形で小判形石造物と亀形石造物が発見された。
これら2つは水槽のような形でつながっていて,水を溜めたのではないかと推定される。周囲には石を並べた溝や石段があり,全体を囲むように石垣や石敷が綺麗に成形されていた。
一体誰が何のために作ったのか全く分からない。
一説には,斉明帝(皇極帝重祚。天智帝母)の両槻宮(ふたつきのみや)の関連施設ではとの説もあるらしいが,真相はどうなのだろう・・・。
とにかく,天皇が代わる度に,或いは天変地異が頻発したり疫病(主に天然痘)が流行したりすると,遷都が繰り返された時代なので,あちこちにこうした遺跡があっても,至極同然ということなのだろう。


それにしても,古代に於いて遷都は当たり前のことだったのだろう。
斑鳩宮とか難波宮とか大津京(近江京)などというのは,かなりのメジャー級であり,飛鳥だけでも,今まで私が書いただけでも板葺宮,両槻宮,浄御原宮・・・とある。
今は寂れてしまったかつての都を偲ぶ古歌も有ったりするので,やはり古代-遷都というイメージが強い。
例えば,平城京に都が移ってからは,平安京遷都まで固定されたイメージはあるが(長岡京というのも有ったが),実はこの奈良時代にも遷都は行われているのである。
奈良時代を代表する聖武天皇の御代がまさにそうだった。
737(天平9)年,疫病の流行により,聖武帝の后であった光明子の兄である藤原四兄弟(武智麻呂,房前,宇合,麻呂。不比等の子,鎌足孫)が天然痘によって相次いで死没。
その3年後には藤原広嗣の乱が太宰府を中心に起こり,世は混沌としていた(これらの件により,藤原氏の勢力は一時的に翳りを見せ,橘諸兄や吉備真備が権勢を得た)。  
広嗣の乱が鎮圧された同年12月15日,山背国相良郡(現京都府木津川市加茂地区)の恭仁京(くにきょう)に遷都。
太極殿が平城京から移築されたという。
しかし,内裏の完成を見ないうちに4年後に難波京へ遷都。
さらには翌年,近江紫香楽宮(近江国甲賀郡。現甲賀市。信楽焼の狸で有名)に遷都。
・・・といった具合である。
これは,受験勉強をしているときに,高校の日本史の教科書に載っていたもので,それでこんなことを今でも記憶しているという訳である。
結局,半年足らずで平城京へ戻ることになるのであるが,如何に当時の朝廷が天変地異や疫病を恐れ,兵乱を忌み嫌ったがが伺える。
民衆にとっては,堪ったものではなかっただろうが・・・。
ま,言ってしまえば,710年の「何と(南都とかけた訳ではあるまい)綺麗な平城京」から,794年の「泣くよ鶯平安遷都」までの84年間を奈良時代と呼ぶが,常に奈良に都が有った訳ではなく,遷都の繰り返しであったということだ。
因みに,上述の長岡京は,784年(延暦3年)から794年(同13年)まで山城国乙訓郡(現京都府向日市,長岡京市,京都市西京区)に存在した。
つまり奈良時代とは細かく言えば,710年~40年,745年~784年ということになるのではないだろうか・・・。
さらに無駄な蘊蓄を言えば,平安千年の都というが(794年~1868年),治承4(1180)年の6月から11月にかけて,摂津国福原京(現兵庫県神戸市中央区~兵庫区北部)に遷都されている。
ああ,あのことか・・・と思い出された方も居られると思うが,平清盛による福原遷都である。
その間の8月には,東国での頼朝の挙兵があり,平氏政権がぐらついてきた時でもあり,半年足らずで平安京へ還幸となった訳であるが,平安京も半年間の空白があったことになる。


遷都の話のついでに言うが,2010年の平城京1300周年のキャラクターは,ご存じせんとくんであった。
ま,あまりにも・・・(中略)・・・であったため,取って代わる愛らしいキャラクターとしてしかまろくんができたらしい・・・。
上の子が,この旅行直前に薬師寺でそんなことを聞いてきたそうだ(薬師寺の修学旅行生への笑える法話は,かつて私が聞いた故高田好胤氏以来の伝統か・・・)。
そんでもって,そのしかまろくんも,くまもんやひこにゃんには敵わないそうな・・・。


・・・ということで,今回も余計なことを述べて終わってしまいました。
しかも,最後は脱力根多だし・・・。
明日は果たして書けるでしょうか・・・。
まだ飛鳥の見学物件は5つ有ります・・・。

http://blog.goo.ne.jp/fw14b_2005/e/f5d6d5d5499bd7986cf32eb1488b64ef







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