Nicotto Town


koshiのお部屋分家


Memory of Schwarzwald

赤馬,よもやの完全復活でした。
いろいろと取り沙汰されているチームオーダーは当然でしょう。
速いマシンを先行させる戦略は必然なればこそ,マッサも忸怩たる思いがあったにせよピットの指示に従ったのでしょうから・・・。
可夢偉はあと一歩でしたが,レースをしていましたね。
直線が遅いザウバーのマシンではあれが精一杯でしょう・・・。
銀の矢は,高速ホッケンで存外にスピードが伸びませんでした。
Fダクト効果で独壇場かと思ったのですが意外でした。


ホッケンハイムでのレースには過去に幾つか印象に残るものがありました。
マン太郎に入れ込んでいた時期の91,92年はその前の母国英国GPとともに連覇(というか,その前の仏GPも入れてハットトリック)。
私の周囲のF1ファンは皆ホンダとセナのシンパだっただけに,大いに溜飲を下げたものです。
翌93年,絶妙なトラクションでスタートよく飛び出したヒルに地元の声援を受けたシューマッハーが続き,その直後ジム・クラークシケインでのセナとスタートをミスしたプロストの接触は,不世出のドライバー同士の意地のぶつかり合いで,どちらも限界を超えていました・・・。
プロストは,続くオストシケインでブランデルや鈴木亜久里と共にシケインを不通過。
その後ペースを上げ,シューマッハーをストレートでスリップに張り付いて,ヒルをシケインであっという間に抜き去ります。
スタートを失敗しても絶妙なリカバリーを見せて,あっという間に首位を奪い返す絶妙のレースマネージメントは圧巻でした。
しかし,そのプロストにとんでもない陥穽が待っていたのです。
何とシケイン不通過によって10秒のピットストップペナルティ。
6位に後退。
その後の怒濤の追い上げは,如何に最強のマシンウィリアムズ・ルノーFW15Cとはいえ,尋常ならざるプロストの怒りの象徴と言えました。
一方,前回の地元英国GPでコースレコードとなる最速ラップを叩いた直後にエンジンブローで涙を吞んだヒルは首位をひた走ります。
後続のシューマッハーも地元の声援を受けて懸命の走りを見せますが,フォードHBV8の非力さは,最速を誇ったルノーRS6V10の敵ではなく,みるみるうちにヒルに離されていきます・・・。
ペナルティで6位に落ちたプロストは,これ以上ないという怒りの追い上げを見せます。
おそらくマクラーレンやフェラーリの時代にも決して無かったであろう激しい走りで(さすがにルノーの時代は知らない),ブランデルやシューマッハーを刺し,2位に浮上。
そしてラスト2周。
ウィリアムズのピットから,黒い森の一本道を抜けトップを快走するヒルに「OK」のサインボードが出されます。
何がOKなのか?
問題ないからそのまま走れ,ということなのか,優勝してもOKということなのか,未だに不明です・・・。
そして,解説をしていた今宮純さんが,
「いよいよですね」
といった瞬間,悲劇は起きました。
ヒルのFW15Cの速度ががくんと落ちた,と思った瞬間後方から激しい火花が上がる。
フルボトムしたとき,アンダートレイが擦れた火花ではなく,リアタイヤがバーストすることでホイールが直接路面に当たって発したものだったのです・・・。
「あー,どうして勝てないんだ」
今宮さんの悲痛なつぶやきと共に,三輪走向でピットロードに入ったヒルのFW15Cは敢え無くスピンして断末魔・・・。
ペナルティを受けたプロストに,10戦中7勝目が転がり込んだ瞬間でした・・・。
2位には怒濤のような母国の歓声を受けたシューマッハーのベネトンフォードB193が,そして3位にはブランデルのリジェ・ルノーが再三のベルガーとのバトルを征して滑り込みました・・・。


この時期からでしょう。
マン太郎というご贔屓ドライバーを失って(その代わりインディを見てましたが),感情移入できずにいた私が,マン太郎とは全く異なるヒルというドライバーに肩入れするようになったのは・・・。
偉大なる父の七光りは全く無く,マン太郎同様独力でトップカテゴリーへ登りつめてきた苦労人の浪花節的人生が共感を呼んだからに他なりません(ついでに年も近かったし・・・)。
そして,2戦連続して不運に見舞われたヒルに対して,何としても勝たせたいという念が自然に湧き起こったのがこの時からでした・・・。


・・・ということで,またしてもやってしまいました。
若い方々には疎遠な,F1が最もスムーズな走りをしていたハイテク全盛の年の1シーン,そしてその続きはハンガリーGPへと続いていきますが,ホッケンハイムの記憶というと翌94年,3年後の96年,さらにその翌年の97年も印象に残るドライバーの活躍があったことを記して今日は終わりにします。
こうした話なら,いくらでも書けそうですけどね・・・(迷惑)。

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2010/07/28 00:04
まさるさん,今晩は。
いや,最近思い出すんですよ。
80~90年代のレースシーンを・・・。
86年の最終戦アデレードなんて,リアルで見ていないのに思い出しますし,87年のシルバーストーン,88年のモンツァ,89年とか鈴鹿のシケインとか,幾らでも思い出します・・・。
特に92~93年は,トラクションコントロールにアクティブサスペンション,そしてライドハイトコントロール等のハイテク武装された時期だったせいか,マシーンの動きがスムーズで,フルボトムした際には盛大に火花が上がり,視覚的にも見栄えがしました(93年スパとか)。
マン太郎が去った後の私にとって無味乾燥したF1において,ヒルに感情移入できたことは,今となっては良い思い出となっています。
7年もの間,応援することが出来ましたが,今後そうした感情移入できるドライバーやチームが出現してくれると良いのですが・・・。
さて,次は某所で物議を醸し出しているオンガロリンクですね・・・。
これも書けそうだな・・・。
92,93,95,97年・・・。
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2010/07/27 23:55
エリカさん,今晩は。
いや私もかなり記憶が怪しくなっています。
VTR回したり雑誌を繙いたりして記憶を辿ることはよくあります。

私は93年と翌年,インディを見ました。
93年,フルフラットな飛行場で行われたクリーブランドのレースでは,マン太郎とかつてのF1王者エマーソン・フィッティパルディの凄まじいバトルに痺れました。
確かにモントーヤはインディ時代の方が際立った走りをしていましたね。
マクラーレン時代は???でした・・・。
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2010/07/27 19:44
93年ドイツGPのD.ヒルに対する思い入れが伝わってきますね~☆
前戦母国GPで不運のリタイアに終わり、今度こそ勝つかと思いきや、いきなりのタイヤバースト。
ヒルの、これまでの苦労が多かった人生を象徴するかのような瞬間でした。
でも次はいよいよ初優勝のハンガリーですね(笑)更新楽しみにしております☆
テレビにて最近のレースを観戦しつつも、つい90年代のコトを思い浮かべてしまう感覚、よ~く解ります(笑)
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2010/07/27 01:28
いつもながら 素晴らし記憶力ですね
全て見ていますが 記憶は断片しかありません >゜
老化現象でしょうか (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

エリカも一時期インディーを見てました
そこでモントーヤの走りを見て
F1にやって来た彼を応援することにしたのです
インディー時代のモントーヤの走りは最高(*^^)v




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