Nicotto Town


koshiのお部屋分家


Damon collections ・・・

昨日のモナコGP,優勝したのはニコ・ロズベルグ(独:メルセデス)。
30年前のモナコを制したケケ・ロズベルグの息子である。
F1に二世ドライバーは,結構居ると思う。
有名なところだと,ウィルソン・フィッティパルディとクリスティアン(72,74年のチャンピオンであるエマーソン・フィッティパルディは,ウィルソンの弟),マリオ・アンドレッティとマイケル,ジル・ヴィルヌーブとジャック,中嶋悟と一輝,そして現時点で
親子二代に渡る唯一のチャンピオンであるグレアム(グラハム)・ヒルとデイモン(デーモン)・・・といった感じである。
個人的には,初代モナコ・マイスターと呼ばれたグレアム・ヒルの息子であるデイモン・ヒルにモナコを勝たせたかった(93,95年は2位。96年は1位独走中に謎のエンジンブロー)・・・。


・・・ということで,我が敬愛するデイモンの車歴を,彼のマシンで追っていきたいと思います。
92~99年と,足かけ8年に渡りますので,現時点では95年のウィリアムズ・ルノーFW17は入手出来ていません。
また,プラモデル(インジェクションキット)として発売されているのは,94年のFW16のみです(これとて,買った人はセナのマシンを作るでしょう)。
その前年のFW15CがレジンキャストでWAVEから発売されていた時期もありましたが,勿論買いそびれました・・・。
先ずは,F1デビューとなった92年の英国GP使用のブラバムBT60Bから・・・。


それにしても,これは酷いマシンでした。
1961年以来の名門ブラバムがここまで墜ちたか・・・というような出来でした。
で,キャラミでの開幕戦のドライバーは,エリック・ヴァン・デ・ポール(白)とジョバンナ・アマティ(伊)。
アマティは5番目のF1女性ドライバーですが,あまりの遅さ(チームメイトの3~5秒落ち)に,予選通過出来ぬまま3戦で解雇(ついでにラウダと不倫というのもあった・・・)。
その後に乗ったのが,当時ウィリアムズのテストドライバーを務めていたデイモン・ヒルでした。
しかし,スペイン,サンマリノ,モナコ,カナダ,フランスと4戦続けて予選落ち。
ようやく予選を通過したのは,走り慣れていたと思われるシルバーストーンでの英国GPでした。
そこで初出走・初完走16位という結果を出したものの,続く独GPは再び予選落ち。
そして,次戦ハンガリーGPでは再び予選を通過して決勝は11位と健闘したものの,今度はチーム自体が30年を超える歴史にピリオドを打って撤退・・・という,名門の掉尾を飾るには相応しからぬ結果となってしまいました・・・。


前年,ヤマハのエンジンを積んだにもかかわらず,それをジョーダンに持って行かれ,積んだのは軽量コンパクトなジャッドGV。
これはヤマハOX10の原型とも言うべきエンジンです。
しかし,競争力の低下はどうにもならなかったということでしょう・・・。
紫と水色という,幾分サイケデリックな配色のマシンのノーズには,何とSeikima-II(聖飢魔II)のロゴが・・・。
名門ブラバムを救えと,デーモン小暮閣下がデーモン・ヒルをサポートするという駄洒落にもならないことに・・・。
後に世紀末を迎えた際,閣下は,
「デーモン・ヒルというチャンピオンにもなったドライバーが駆け出しの頃,サポートしてやったことがあったな。同じデーモンのよしみで・・・」
とのたまわっておられました・・・。


・・・ということで,紹介します。
ま,92年末のモデルなので,今の目では???ですが,今となっては貴重な1台となりました・・・。

・・・ということで,画像は本家に・・・。
       ↓
http://blog.goo.ne.jp/fw14b_2005/e/34c7eb27154b3256d6798112373a0b82

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2013/05/28 21:44
まさるさん,今晩は。
93年のローラとは,スクーデリアイタリアのなれの果てで,故アルボレートが乗っていたマシンですね。
あれも強烈でしたね。
白地に橙と黄色の楔形ですから・・・。
日本GP前に撤退・・・という週末でした・・・。
91年のヤマハエンジンを纏ったブラバムは,三越がスポンサーだったり,結構魅力有るチームだったですけどね・・・。
兄シューは,91年に華々しくデビューしていたのでしたね。
そう考えると,デイモンのデビューは本当に地味というか,この人らしいというか・・・。
ま,苦労人の努力が報われて,成功していくという浪花節的人生に,ついつい共感してしまったりして・・・。
アバター
2013/05/27 20:54
BT60Bが走ってた頃俺は高校生でしたが、デーモン閣下の粋な(?)スポンサードにエラく感銘を覚えた記憶がありますwww
カラーリングについては、翌93年のローラと張るくらいの派手さでしたな・・・。
ライバルのシューとはあまりに対照的なデビューのデイモンでしたが、この状況に腐らずよく頑張ってましたよね。
92年のブラバムは、資金繰りが悪化しすぎて、ベネトンからブラバムに移籍したメカニックがユニホームが支給されずにベネトンのユニホームを着て作業してたとか・・・。
今思えば、かつて「名門」と呼ばれたチームが消滅する第1号だったような(その後はロータス、リジェ、ティレル・・・。)




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