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koshiのお部屋分家


關西紀行,其之拾九:おけいはんは美しい・・・

京阪電鉄石山坂本線の終点は,比叡山下の坂本。
言わずと知れた明智光秀築城による湖畔の城があった街である。
元亀2(1571)年,信長は比叡山焼き討ちを敢行。
その後,光秀が北陸道や若狭方面への要地である坂本を拝領したのは,やはり絶対的な信頼あってのことと思う。
坂本城跡はR161と湖西線の中間に位置し,京阪の駅からは遠いので,今回見送ったが,複合天守のある立派な城であったことが,ルイス・フロイスの「日本史」に掲載されたらしい。
湖畔に築城したのは,勿論舟運の為だろうし,後に築城された大津城や膳所城の魁であったとも言われる。
山﨑の敗戦の後,安土城から引き上げてきた明智秀満(琵琶湖の湖水渡りが有名であることは,一昨年述べた)は,秀吉軍に包囲されると,天守に火を放ち,光秀の妻子を手にかけて自害。
築城後10年と少しで落城となった。
その後は,浅野長政などが城主となったようだが,長政が大津城を新たに築いたことで廃城となる。
城跡は,石垣の一部を残すだけのようだが,光秀の銅像があり,ここでは名君として慕われているのだろう。
京都の福知山も同様であると聞いた記憶がある。
そう言えば,中学時代歴史に詳しい友人から,
「琵琶湖の西側は,比叡山を焼き討ちにした信長の評判はもの凄く悪いんだぞ」
と,聞いたことがあった。
そいつは上杉謙信が好きで,信長を嫌っていたので(謙信が死ぬ前の挙兵で,20万もの兵力が集まったので,謙信が死ななかったら信長は謙信に滅ぼされていたと公言していた。ま,謙信の関心は関東なので,信長を討つ出兵では無いと私は思う),多分そんなことを言ったと思われるが,実際のところどうなのだろう。
勿論,叡山では信長は極悪人なのだろうが・・・。
元亀から天正初年にかけての信長は,確かに苦しい時期だっただろう。
足利義昭を奉じて上洛は果たしたものの,畿内平定には三好党や石山本願寺が激しい抵抗をし,元亀元年の姉川の戦いで,浅井・朝倉軍を破ったものの,息の根を止めるには至らず,将軍義昭の手引きによる反織田同盟による包囲もあり,まさに四面楚歌だった。
その難局を乗り切るべく,岐阜と京の間を荒れ狂ったように往復し,都度敵を蹴散らしていったのだろう。
叡山は,南北朝時代もそうであったように,京を狙う戦力の拠点となる。
故に,見逃せない存在だったのだろう。
尤も,本願寺とは異なり,この時代は多くの堂塔が既に失われ,かつて白河院を嘆かせたような勢力は保持していなかったとも思われるが,先ずは近くの弱そうなところから潰していくという考えだったのだろうか・・・。
延暦寺の根本中堂にあり,伝教大師による開山以来の「永遠の灯火」が唯一絶えたのが,御法難とも言うべき信長による焼き討ちは,是とするか否定するか,分かれることだろう・・・。
信長は,極めて苛烈な男故に,伊勢長島の一向一揆も老若男女を問わず皆殺しにしたことは知られているが,それ以前に叡山でも同様のことをしたことになる。
尤も,かつての戦闘というものは,多分にそうした部分があり,例えば大坂夏の陣屏風など,逃げ惑う民衆の姿が描かれているし,偽首(手柄の帳尻合わせに,非戦闘員を殺害して首を獲る)も多かったという。
勿論,残虐極まりない行為であるが,信長だけがそのようなことをやったという訳ではないだろう。
そう言えば,かつての大河ドラマ「国盗り物語」では,堕落した僧ばかりではなく,高僧学識も多いので,焼き討ちなどもってのほかと,信長に諫言した光秀が怒りを買って信長に殴り倒される場面があった。
でもって,焼き討ちの最中に,知り合いの高僧に助けを求められるも,何もできず・・・という設定だった。
原作を読んだのはその後だったが,当時の武将としては珍しく,光秀のように教養があり,典礼にも明るい文化人が,叡山焼き討ちに対して煩悶したのは事実ではなかったろうか。
組織に竿すことなく堪え忍んだ結果が本能寺だとしたら,歴史とは何と非情であることだろう・・・。


・・・そんなことを思いながら,好天の中,坂本駅で下車する。
湖都古都おおつ・1day切符を改札で見せて,坂本ケーブルまで歩くか,バスに乗るか・・・などと思った時,
「山科から乗られた方ですか?」
と,改札の駅員さんに聞かれた。
そうだが,何か・・・と訪ねると,
パンフレットを渡してくださいと頼まれたという。
つまり,比叡山に行くのに坂本で降りると言ったからだろう。
もしかすると,渡しそびれたのかもしれないが(一昨年買った時は,何もなかった),親切なことである。
山科駅の駅員さんも親切だったが,さすが京阪である。
西武系なのが個人的には気に入らないが(笑),このあたりは,敢えて身内に職員が居るから言うが,JR東京駅の女性職員には見習って欲しいものだ。
で,さらにスピードくじが渡されたので,引いてみたら何と4人中2人分が当たった。
商品は,何と「おけいはん」のカレンダー。
おけいはんとは,京阪のキャンギャルおねいさんのことで(今の方は何代目なのだろう?),歴代美形揃いであるらしい(笑)。
大事にリュックにしまい込み,未だに開封していないが,いずれ紹介したいと思う・・・。


駅の斜め向かいに閉じている観光案内所があった。
石垣の上に築地塀。
そして,彼方に見える大鳥居を見た瞬間,心は決まった。
ここは,バスなど使わず歩くのが正しい・・・と。
この日のハイライトは,この瞬間から始まった。
(画像がすべてを物語っています)
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