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關西紀行,其之廿:門前町坂本

京阪の坂本駅から,ケーブル坂本駅までは1km足らず。
その短い区間に,比叡山延暦寺の門前町たる坂本の魅力がぎっしり詰まっていた。
通りの両隣は,石垣の上に築地塀という寺が軒を並べる。
三井寺の門前町も良かったが,こちらは道の幅も寺院の広さも大きい。
それが,ケーブルまで続くと言っても良いだろう。
光秀をはじめとする明智一族の墓所は,さらに北方に離れた西教寺にある。
私が歩いたのは,日吉神社の参道に当たる道で,風致地区となっているらしい。
坂本に城下町が築かれたのは,廃城となるまでの浅野長政時代と思われるが,城から離れたこのあたりは,むしろ平安初期から延暦寺の門前町として開けていたのかも知れない。


途中,穴太(あのう)衆による石組みなるものがあった。
石工の職人集団とも言うべきなのか,延暦寺の開山以来戦国期の築城時代まで,彼等の技術は各地で重宝されたらしい。
その上には,遮那王大杉なる大木があった。
遮那王とは,牛若丸に次ぐ義経の幼名だが,鞍馬山から叡山を越えたことがあったのだろうか・・・。
それとも,金売り吉次と共に平泉を目指す際に,ここを通ったのだろうか・・・。
元服したのは,江州鏡の宿と記憶しているが,それは東海道線篠原駅近く,R8(中山道)沿いだから,どうなのだろう・・・。


堂々たる門構えの霊山院なる寺を見てから,ケーブルの駅はすぐだった。
隣は,甲子園によく出てきた比叡山高校。
どう見ても昭和30年代築と思われるケーブルの駅舎には,珍しいことにパンの自販機があった。
切符がまた奮っていて,硬券ではないものの,どう見ても60年代からのものでは・・・と思われる。
ぺらぺらなのが残念だが・・・。
運行間隔は30分毎なので,10数分待っただろうか。
木の柵で出来た改札を通ると,赤く塗装された福号と名付けられた階段状のケーブルカーが居た。
ロープウェイは,蔵王や箱根で乗ったことがあるが,本格的なケーブルカーは初めてである。
今は廃墟と化したであろう田沢湖スイス村で,ドアの無い(多分朽ちた)ケーブルカーに,数10m乗ったことはあったが,今回は全国最長の2kmという本物である。
車内は,ほぼ満席。
当たり前だが,車内は最下部に席を取った方が,眺望が効く。
次第に下界が開け,琵琶湖の大パノラマに目を奪われるが,一瞬のことなので,ゆっくり楽しむわけにはいかない。                                            
車両は随分新しいようだが,93年製とのことだ。


耳に気圧の変化を感じると,比叡山駅だ。
駅舎を出ると,数cmの積雪。
関西で,否西日本で見る初めての雪である。
周囲から,
「さすがにここまで来ると,雪が凄いね」
という声が聞こえたが,北日本の者にとっては,この程度は,積雪のうちには入らないことは言うまでもない。
それでも,さすがは9世紀開山の霊山である。
凛と張り詰めた冷気は,山岳密教の本場に相応しい。
すぐ傍の展望台で,琵琶湖の眺望を存分に味わうことが出来たのは良いのだが,冬の割に湿気が多かったせいか,下界が霞んだ感じに見えたのが残念である。
ま,画像は加工してあるが・・・。


・・・ということで,今日はここまで。
次回は,延暦寺となる。
それにしても,最大の収穫は,やはり坂本の街であった。
再び訪れたいものである。

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