Nicotto Town


koshiのお部屋分家


日高見紀行-其之壱

3年前から,何としても行きたかった。
被災していないに等しいからこそ,被災地を見て何らかな得るものが有る筈だし,それが絶対に必要だと思ってきた・・・。
最初に被災地を目の当たりにしたのは,3年前の5月だった。
市内東部の港を中心に歩いたのだが,瓦礫や流された車両が放置され,積み上げられた状態で,罹災の爪痕が痛々しく且つ生々しく残っている時期でもあった。
翌年秋には,県南部の空港近隣まで愛車を駆った。
交通インフラ自体の復興は目覚ましく,道路も空港設備も,そしてアクセス鉄道も何事もなかったかのように稼動していたが,一歩海岸に近づくと,ひしゃげた橋の欄干や,空港周囲のフェンスに,まだまだ罹災の後が色濃く残っていた。
そして,3年経って,ようやく重い腰を上げ,一番被害が大きかった沿岸部の南三陸地方へ足を伸ばすことができた。


県東部の石巻市は,震災当日,津波によって沿岸部が壊滅的な被害を受けた。
津波が真東から来たのなら,南東に突き出た牡鹿半島に当たって,仙台湾全域は被害が減殺されたかもしれない(勿論,牡鹿半島東岸は,大変なことになっただろう)と,素人ながら思うが,完全に直撃で,市街地は海水に飲まれた。
特に,北上川河口に程近い南浜地区から門脇(かどのわき)地区にかけては,完全に街が消えてしまった・・・。
日和山(私の生まれた山形県酒田市を初め,港湾都市にはよくある地名)南麓にある門脇小学校は,炎に包まれたという・・・。


隣の女川町では,地元銀行の支店が港に2つ有ったが,1つは高台にある町立病院に行員が避難して九死に一生を得た。
しかし今ひとつの方は,支店長の判断で2階だか3階に避難した結果,全員が津波にのまれるという痛ましい結果になった・・・。
女川港には,ファミリーマートが1軒有ったと記憶しているが,勿論跡形もなかったし,洒落た造りの町庁舎とマリンパルとかいう名前の多目的施設は,完全に取り壊されていたし,3階建てのビルが90度ひっくり返っていた・・・。


陸中(三陸)海岸(三陸とは,旧陸奥国を明治時代に分割した陸奥・陸中・陸前の総称)の最南部は,上述牡鹿半島になる。
鋸の歯のようなリアス式海岸の典型であるが,それが故に入り江が深く,沿岸は切り立った崖となり,入り江の奥が天然の港となる。
切り立った狭い入り江なればこそ,津波は高さを増し,それらの港に牙を剥いた・・・。若い頃から何度となく訪れてきた女川湾や御前湾,そして雄勝湾といった地域は,海苔や牡蠣の養殖が盛んであったが,壊滅的な打撃を蒙ったことは言うまでもないだろう・・・。本日訪れたそれらの港には殆ど建物が見当たらず,小高い場所には仮設住宅が建ち並んでいた・・・。


少しでも被災地支援になるなら・・・という思いで,雄勝支所跡に出来て間もない木造の瀟洒なカフェで一休みする。
木の香りのする明るい雰囲気の建物で,席からは春の陽光に輝く雄勝湾が望めた。
何事もなかったかのような平和極まりない雰囲気だが,あの日は街が1つ,忽然と消えたのである。
痛々しく残る建物の基礎が,それを僅かに物語っていた・・・。
風が冷たく,仙台市内では12~3℃あったものの,沿岸部は5~6℃で,はっきり言って寒かったが,折からの好天で,西から差す陽光の下,入り江の下の海は,穏やかなただずまいを見せていた・・・。


・・・ということで,簡単に書いてきたが,ワープロで1ページ半となったところで,今日はお終いにする。
行程の2/3は終わりだが,この石巻市雄勝地区から峠を1つ越えたところに行くことが,今回の主たる目的の1つであった。
それについては次回述べたいが,上記石巻市門脇地区と女川町の港地区には献花台が設けられており,線香をあげてご浄財をしてきた。
何の力にもなれないことは重々承知だが,行動を起こさずにはいられなかった・・・。

例によって,画像は開店休業中の本家です。
     ↓
http://blog.goo.ne.jp/fw14b_2005/e/f184bee49d7bb72675af8f9fedf7840f

いずれmixiとFacebookにも,さらにうpしないと・・・

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2014/05/11 17:50
meianさん,今晩は。
仰るとおり,被災地では少しずつ復興の槌音が高くなっています。
meianさんが志を送られた田代島も同様だと思います。
多くの日本人が,少しずつでよいから復興のために,同じような行動をしてくれたら・・・と思います。
また,被災していないに等しい私なんかは,やはり被災地を訪れて微力ながら地元経済の発展に寄与することが必要と思います・・・。
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2014/04/14 00:12
今晩は。
まだまだ震災の爪痕の残る現地のルポ・・・。
平和な風景の陰では営々とした復興の営みが果てもなく続いている・・・。
私がわずかばかりの志をおくった猫島・田代島のカキの養殖もなんとか
軌道に乗ったとの便りが届きました。
私たちは日常にかまけて、つい被災地のことを忘れがちですが、
支援の活動を継続しないといけませんね。




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