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koshiのお部屋分家


加越紀行-其之八「兼六園眺望台」・・・

瀟洒な洋館の石川四高記念文化交流館を出る。
中央公園を突っ切ると,金沢城趾の登りにかかる。
尾山なる小高い丘を利した平山城だが,雨中の登城は,疲労を溜めた若くない身にとっては,結構難儀だ・・・。
二の丸まで登る。
途中,玉泉院丸庭園が整備中だったり,有名な石川門のみならず,城趾全体が見事に改修・再建が進んでおり,観光立国と史跡保存の両立を目指す姿勢が,痛いほど感じられる。
勿論,現在の城趾が往事のすべてではないが(実際はもっと広い),十二分に広大で,極めて立派と言えよう。
因みに玉泉院(1574-1623)とは,織田信長の娘で,加賀藩二代藩主前田利長(利家長子)の正室のことである。
ここに庭園が造営されたのは三代藩主利常(利家庶子)の代であり,玉泉院の没後だったようだが,その屋敷跡が玉泉院丸となったそうだ。
既述の通り金沢城は,一向宗門徒の本拠地の1つだった尾山御坊跡に築かれたものだが,広大な城域といい,整備された城下町といい,前田氏の治世が存分に発揮されたものと思う。
外様最大の百万石は,伊達ではないということだろう。
その礎を築いた前田利家とは,やはり相当な大物であった・・・。


石川門を横に見ながら城趾を横断すると,すぐ隣が兼六園だ。
水戸の偕楽園を見たのが,何と高校2年の時だから,随分昔となる。
岡山の後楽園は残念ながら未見なので,いずれ行かねばなるまい。
それにしても,見事な庭園だ。
金かけているすら当然という声も有るかも知れないが,これだけのものを維持するための努力と苦労は計り知れないし,高い志が有るからこそ,こうした素晴らしいものを現代に伝えてきたのだろう。
文化とはそういうものだ。
この庭園の素晴らしさは,私如きが百万もの駄弁を弄するよりも,画像を見ていただければ,まさに百聞は一見にしかずとなるのでここで終わりにするが,只一つ,北東に卯辰山を臨む遠望は,この日の白眉ともいうべきものであった・・・。
再び此の地を訪れたい・・・と,思うことのできる希有の場所とも言えよう・・・。


石川県観光物産館まで降りる。
桂坂というのだろうか。
民芸品店や九谷焼の店が庇を連ね,なかなか良い風情だった。
そうそう,兼六園の出口で例によって,男女数名の若者のグループに,シャッターを押してくださいと頼まれた。
どうも一眼を担いで歩いていると,よく声を掛けられる。
昨年末も,奈良の新薬師寺で初老の夫婦に声を掛けられたし,随分前に嵯峨の天龍寺でもカップルに声を掛けられた。
勿論,快く引き受けるのだが,そのうちおねいさん方に声を掛けられたいものだ・・・(をい)。
今まで数えるくらいしかない故に・・・。


肘の辺りをうっかり雨に濡らしてしまったし,疲れてもきたので,物産館前の兼六園下なるバス停から,丁度良く来たバスに乗る。
何と日曜日は,運賃が通常の半額の100円だった。
嬉しくて,香林坊で降車の際に運転手さんに礼を言ったが,素っ気ない反応だったのが少々残念だったが・・・。
ボンネットバスも走っており,出来ればそれにも乗りたかった・・・。

例によって画像は本家です。 
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