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加越紀行-其之九「長町武家屋敷跡」・・・

金沢随一の繁華街である香林坊に戻ってきた。
だいぶ腹が減ってきたが,金沢名物であるハントンライスを食するには,片町まで戻らなくてはならず,時間的に厳しくなるので,断念する。
こちらhttp://tabelog.com/ishikawa/A1701/A170101/17000706/の店がそうだが,街中の小規模なビストロという風情なので,食指が動く店である・・・。


残りの時間を有効に活用すべく,長町武家屋敷群を駅方向に向かって歩くことにした。
金沢には,藩政時代を偲ぶことができる街並みが幾つか残されている。
市街東部,浅野川沿いの主計町茶屋街と対岸のひがし茶屋街,市街西部,犀川を渡ったところにあるにし茶屋街,そして,私が訪れた長町武家屋敷群である。
こうして書いてみると,改めて金沢の名所を舐めただけ・・・というのが分かる。
ぜひ再訪したいものだ・・・。
長町という地名は,同じ城下町である我が街にも存在するが(我が街の方が10数年後か),その由来は,奥州街道沿いに南北に文字通り長く伸びだ街だから,ということなのに対して,金沢の長町の方は,前田家の重臣である長氏(ちょうし)の屋敷があったことがその由来となる。長氏については,少しばかり述べた。
隣国能登の七尾城に籠もって上杉謙信と戦ったものの,城内の裏切りにより落城。
それ以前に,当主である長続連(ちょうつぐつら)を初めとする一族は,遊佐続光(ゆさつぐみつ),温井景隆(ぬくいかげたか)といった上杉派によって皆殺しにされた。
唯一難を逃れたのが,信長のもとに援軍要請に行っていて難を逃れた続連次子連龍(つらたつ)である。連龍は,その後織田軍の武将として能登攻めに参加。
見事に父の仇である遊佐続光を討っている。
その後,七尾城主となった前田利家に仕え,3万3千石を領し,近現代に至る。
明治11(1878)年,東京紀尾井坂にて,大久保利通を暗殺した長連豪(つらひで) や,沖縄戦の参謀長で,米軍に追い詰められて摩文仁の丘(まぶにのおか)で牛島中将と共に自決した長勇は子孫である。
この長氏,本姓-つまり元々の姓は長谷部だったそうで,何らかのきっかけで,長と改めたらしい。
祖を辿ると,平安末期~鎌倉初期の武将である長谷部左衛門尉信連に当たった。
「平家物語」に登場する滝口武者(たきぐちのむさ)である。
滝口武者とは,簡単に言ってしまえば,宮廷を警護する武人のことである。
平将門や高山樗牛の「滝口入道」の主人公である斎藤時頼も,滝口武者であった。
信連が「平家」に登場するのは,治承4(1180)年,後白河法皇の第三皇子である高倉宮以仁王を奉じた源頼政による平氏討伐計画が漏れ,平氏の命を受けた検非違使たちが以仁王捕縛に向かった際に,王を園城寺(三井寺)に逃がした後に単身立ち向かい捕縛。
引き出された平宗盛の前で詰問されても,決して以仁王の行き先を吐かなかったという。清盛はその勇に感じて,死一等を免じ,信連を能登へ配流した。
やがて,平氏滅亡後に安芸国の検非違使となり,能登の地頭職を得る。
それが長氏の起こりであるが,長谷部という氏(うじ)名からも,大和朝廷の部民(べみん)制度の時代に起こった古姓でもある。
部(べ)・部曲(かきべ)などという用語は,日本史の受験用語として覚えた(そして,そのまま忘れた・・・笑)。


そんなことを考え,長一族に思いを馳せながら,長町へ入る。
雨は勢いを増し,主に傘を持つ左手の肘を濡らし,そこだけが冷たくなってきたが,あまりの風情に息をのんだ。
水路沿いに土塀と石畳の道が続く。
ただそれだけの道だが,紛れもなく藩政時代を偲ぶ第一級の街並みだと思う。
かつて,雨の中を松江とか益田といった山陰の城下町を訪れたことがあり,古い城下町には雨が似合うことを認識したのであるが,今回も又同様だった。
後は,ここで百万遍の駄弁を弄するよりも画像を見ていただれると一目瞭然であるが,これだけのものを長い年月維持していくだけでも大変なのに,当時の面影やイメージを壊すことなく現代に伝えてきた加賀人の心意気に,壮たるものを感じずには居られなかった。
文化とは,中央だけのものではない。
伝えられた先々でも,その地域固有の良さを加味して,むしろ中央をも凌いでいくものなのかもしれない・・・。
会津国造(くにのみやつこ)時代の鏡(三角縁二神二獣鏡)が,当時の先進地域であった吉備地方で製造されたものより,造形が確かだった・・・という記事を書いたのは,10年以上前だったが,地方にこそ中央の文化が色濃く残るというのは,皮肉なようでいて,実は意外に文化の本質なのかも知れない・・・。


・・・ということで,本編の紀行文は終わりです。
尻切れなのは,竜頭蛇尾な生き方をしてきた私らしいと思ってください・・・(笑)。
近年訪れた地で,再び行ってみたいと強く思った地というのはそうそうありません。
その意味でも,金沢は私にとって忘れ得ぬ街となりました。
1人で出掛けた貴重な旅だったというのも大きいと思います。
フットワークを生かし,とにかく歩きましたし,飲みにも出ました。
一人なればこそ出来たことでしょう・・・。
後は,午後に金沢を出て,北陸線-信越線-北越急行線と乗り継いで越後湯沢まで一気に行き,何と生まれて初めて上越新幹線に乗ったことと,越後頸城平野から魚沼盆地へと抜ける北越急行線(通称ほくほく線)南部は,早春の息吹を満喫した加越路と異なり,3月松でも豪雪地帯であったことを付記しておきましょう。
日本は広い・・・と改めて感じた瞬間でもありました・・・。


・・・ということで,後は拾遺集を書けるかな・・・。
一応続きます・・・ということで・・・。


例によって,画像は本家です・・・。
    ↓
http://blog.goo.ne.jp/fw14b_2005/e/f90bde17bc94336dea9d744b23929cc0

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2014/05/20 19:15
うさりん♪さん,今晩は。
ありがとうございます。
もう1回だけ,拾遺集として書こうかな・・・と思います。
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2014/05/20 00:17
旅行記おつかれさまでした〜。
超大作でしたね。




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