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關西紀行-其之壱拾八「さらば飛鳥・・・ 」

いよいよあと1時間ちょいで飛鳥駅まで戻って,自転車を返さなくてはならない時間帯になったが,しぶとく観光を続ける。
西日本は日没が遅いので,つい一週間前に冬至が終わったばかりのこの時期でも,周囲はかなり明るい。
近鉄に程近い欽明天皇陵と吉備姫王墓を目指す。
地図によると,猿石なるものがあるという。
猿の形をした石なのかどうか,全くの予備知識もないまま出掛けたので,全く迂闊なことに何も知らなかった・・・。


吉備姫王とは誰なのか全く分からなかったが,どうやら斉明天皇の母ということで,天智天皇の祖母,そして欽明天皇の義理の娘ということのようだ。
没年は大化の改新直前の643年ということは,山背大兄皇子と同年だが,関係は無いだろう・・・。
でもって,猿石を幾ら探しても見つからなかったのだが,相方が吉備姫王墓の陵内で見つけた。
猿に見えないことはない4体の石像だ。
渡来人だという説もあるらしい。
「女」,「山王権現」,「僧侶」,「男」という名称がついているが,田の中から発掘されて,明治期に現在の場所に置かれたという。
それにしても,なにゆえこのようなものが作られたのか今猶謎である。
飛鳥の石像物には謎が多すぎる・・・。


欽明天皇陵は上から俯瞰すると西向きの前方後円墳であることが分かる。
周囲の堀は,満々と水を湛える。
夕暮れ時,誰も居ないこの地を訪れるのもなかなか味わいがあるものである。
6世紀の人のようだが,随分と立派な陵墓で,仁徳・応神陵のような巨大さは無いものの,十二分に朝廷の威風は伝わる。
静かな初冬の夕暮れに,余り知識がないのが残念ではあるが,古代の飛鳥王朝に思いをはせることができたというのは,大きな収穫であるかも知れない・・・。


そして6時間にも及ぶ自転車の旅も終わりである。
自転車を返す際に店番のおばさんに,
「いや~,暖かくて快適でした」
と言ったら,今日は寒いと言われた。
やはり畿内と北日本では体感温度がまるっきり違うようである・・・。
急遽バスを取り止めて自転車にしたわけであるが,正解であった。
1時間に1本の亀バスでは,どうもならなかったであろう。
やはり飛鳥の旅は,レンタサイクルが便利だし,効率よく回れる。
高松塚古墳-亀石-橘寺-石舞台-川原寺跡-飛鳥板葺宮跡-酒船石-飛鳥寺-水落遺跡-甘樫の丘-鬼の爼-鬼の雪隠-猿石・吉備姫王墓-欽明天皇陵と,6時間でこれだけ回ったのだから,ほぼ飛鳥の要地を回りきったことになる。
しかも行動力にハンデのある家族連れでである。
あと見ていないのは,高松塚の南の文武天皇陵,キトラ古墳,そしてそのさせらに南の霊異記で知られる壺阪寺,石舞台から東に登った多武峰(とうのみね)にある談山神社,明日香村役場の東の山の中腹に有る岡寺,そしてその北東にある明日香資料館あたりだろう。東部は山なので,自転車はきついが,レンタカーでも借りれば何とかなりそうだ。
そして,南朝悲史に思いを馳せるなら,さらに南の吉野も訪れてみたいものである。
車が有れば,壺阪寺から鷲野へ抜けるルートを通れば効率よく回れそうだし,その奥の天川や十津川まで足を伸ばせるかもしれない・・・。


・・・ということで,飛鳥紀行は終わりとなり,あとは奈良市内へ近鉄を乗り継いで帰ったのであるが,教訓としては,やはり橿原神宮前駅を起点とするのが便利であることが改めて分かった。
唯,飛鳥駅前の方が適度に鄙びた感じがあり,自転車で走りやすかったので,飛鳥駅前で自転車を借りて,橿原神宮前で返すことができればベストだったかも知れない(開いていなかったので,飛鳥駅前に戻すしかなかったのだが)。
そうなると,猿石を先に行って,甘樫の丘から橿原神宮を目指すことになっただろう。
そして橿原神宮前を起点にするならば,藤原京跡へ行くのが便利とも言えよう・・・。


近鉄8000系の車内ではさすがにビールを飲むことができず,近鉄なら駅で降りて,結局桜通なる賑やかな商店街を歩いて三条通で夕食をとり,ようやくホテルに帰ってビールにありついて1日が終わったのであった。
あっという間の2日間,ベッドの寝心地は相変わらず良くなかったが,それ以外は実に快適なホテルであった・・・。


・・・ということで,ようやく2日目修了です。

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