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koshiのお部屋分家


1行ぶんの知識で5行書き殴った駄文の山です。

關西紀行-其之壱拾六「甘樫之丘・・・」

感慨深かった飛鳥寺を後にする。飛鳥寺の真西に位置する甘樫の丘へ行きたかったし,飛鳥資料館にも行きたかったのだが,年末年始は飛鳥資料館が休業中という懸念があったし,だいぶ日が西に傾いてきたので,飛鳥坐神社の前を藤原鎌足誕生の地とやらへ行こうとしたが,大型車両が道を塞いでいたので断念。せっかくなので,甘...

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關西紀行-其之壱拾伍「飛鳥寺・・・ 」

次なる目的地は,飛鳥寺。蘇我氏の氏寺にして,我が国最古の寺院である。正式には方興寺と言い,斑鳩寺と呼ばれた法隆寺に対して飛鳥寺と呼ばれた・・・と,これも高校の教科書に書いてあった受験知識である。また,元興寺とも呼ばれ,平城遷都の際に建材は奈良に運ばれそのまま使用された。その元興寺を5年前に訪れたが,...

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關西紀行-其之壱拾四「遷都之話・・・」

高松塚~亀石~橘寺~石舞台~川原寺跡~板葺宮跡と,ハイペースで(それでいて各見学箇所では十分時間を取って)進んできた飛鳥の旅も中盤を迎える。次なる目的地は,酒船石である。こればかりは,画像を見ていただかないと分からないのであるが,とにかく誰が何のために石を加工したのか謎である。文字通り酒造に使ったの...

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關西紀行-其之壱拾参「乙巳の変 」

石舞台を後に,元来た道を下る。次なる目的地は,大化の改新の舞台とも言われる飛鳥板葺宮跡であるが,心を残してきた川原寺跡にどうしても行きたくて,橘寺の下まで戻る。7世紀当時は飛鳥寺(法興寺),薬師寺,大官大寺(大安寺)と並ぶ飛鳥の四大寺の一に数えられた大寺院だが,平安時代最末期というか鎌倉開府の前年で...

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關西紀行-其之壱拾弐「高松塚,橘寺,石舞台 」

 自転車を4台連ねて颯爽と発進・・・の筈が,10数年ぶりで乗ったという相方と,なかなか慣れない下の子がハンデとなり,緩いスピードでの走行を余儀なくされる。取り敢えず地図を見ながら高松塚古墳を目指す。昭和47(1972)年に大規模な壁画が見つかったところであり,20年以上前に高松塚壁画館へは...

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